“私たちは男性の視点で世界を見ることに、あまりに慣らされすぎています”―― 『ヴィクトリア』シヴァランジニ監督に聞く

「あいち国際女性映画祭2026」で上映されたインドのマラヤーラム語映画『ヴィクトリア』のシヴァランジニ監督への単独インタビューをお届けします。
インド映画タイムズ 2026.09.27
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「あいち国際女性映画祭2026」で9月2日のオープニングを飾った、インドのマラヤーラム語映画『ヴィクトリア』。ケーララ州中部にある小さな町の庶民的なビューティー・パーラーで、ひとりの若い女性従業員が、仕事を開始してから最後の客を見送りシャッターを閉めるまでの数時間を描くミニマリズムの作品。画面中に男性がほぼ登場しないという演出でありながら、そこに家父長制の問題がくっきり浮かび上がるだけではなく、階級格差、さらには仄かなユーモアまでもが立ち現れる、深みのある一作。監督は、本作がデビューとなるシヴァランジニで、上映に合わせ来日し、翌3日のトーク付き上映でも熱のこもったスピーチをした。同監督に、そのトークの後に単独でお話をうかがった。

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あいち国際女性映画祭2026 トークショー

あいち国際女性映画祭2026 トークショー

1.まずあなたの経歴を教えてください。生まれた場所、映画監督を志したきっかけ、長編第1作である本作の製作に至るまでを教えてください。

 ケーララ州中部コッチ近郊のアンガマーリ(本作の舞台でもある)です。高校生の頃から映画監督になりたいと思っていました。でもインドでは、そうした道に進む前に工学を学んでおくのが一般的でした。(女性の場合、ということですか?)そうですね。特に中流家庭では、映画製作などを学んで本当に就職できるのかとの懸念から、まずは専門職に就けるような学位を取ることが望まれるんです。その上で本人が望むなら好きなことをやればいいという考え方でした。ですから、私は工学を学んだ後、映画製作の修士課程に進みました。在学中には短編映画を撮り、その後しばらく映像編集者として働きました。それから博士課程に入り、ケーララ州映画振興公社の助成金を獲得したことで、長編劇映画『ヴィクトリア』を製作する機会に恵まれたのです。

2.映像作家になるにあたり、強い影響を受けた映像作家や映画作品を教えてください。

 黒澤明監督はインスピレーションの源と言える存在です。また、私の出身地であるケーララ州のG・アラヴィンダン監督も好きですし、最近の映画作家では、特にビー・ガン(畢贛)のような中国の監督たちにも惹かれています。

3.ケーララ州映画振興公社(Kerala State Film Development Corporation/KSFDC)の女性映画人育成事業についても教えてください。支援金はどのくらいのスケールのものだったのでしょう?

 これは女性のエンパワーメント・プログラムの一環として行われている州政府の事業です。私のような女性監督に資金を提供するもので、対象となるのは主に長編デビュー作です。資金の規模は約1,000万ルピー(約1650万円)で、これはインド映画の製作費として一般的な水準です。新聞で公募が行われ、3段階の選考プロセスを経て、私が選ばれました。

4.本作に対しシスターフッド(sisterhood、女性同士の連帯)の映画という評言を目にします。どうお考えですか?

 素晴らしいことだと思います。そう捉えていただけるのはとても素晴らしいです。もっとも、意図的にそのような作品にしようとしたわけではありません。ただ、多くの女性を映画に登場させたいと思っていました。それに、一般的な映画では女性同士が集まると、決まって意地悪だったり、陰口を叩き合ったり、互いに冷酷だったりするように描かれがちですよね。とても性悪だったり、お互いに意地悪な態度をとったり。でも実際はそうじゃない。私たちはとても仲良くやっていますし、美容室などでもそういう光景を目にします。素晴らしい友情が芽生えることだってあります。美容室に行き、そこで出会った人たちと面白い友情を築くことがあります。一時的な出会いですが。たった1日だけの出会いでも、会話をして仲良くなれる。それはとても自然なことです。トイレで女性と出会うのと似ています。公共のトイレで女性と出会い、言葉を交わして仲良くなるのも、よくあることだと思います。ですから、「シスターフッド」という形容はとてもよい言葉だと思います。誰かがこの映画をそう表現してくれたのなら嬉しいです。また、ヴィクトリアと友人の関係にもそれが表れています。言葉を交わすことで互いを理解し合っているからでしょう。男性の友情、「ブロ、ブロ(bro, bro)文化」についてはよく目にしますから、女性同士にもそうしたすてきな関係があると思えるのはいいことですね。

5.「sisterhood(姉妹的な連帯)」と「friendship(友情)」は同じものですか?

 とても興味深い質問ですね。厳密には違いますが、どちらの呼び方でも構いません。女性同士の友情や、姉妹のような絆として捉えられることにも抵抗はありません。それでいいんです。

6.各地の映画祭で高い評価を受けて素晴らしいキャリアをスタートされましたが、商業映画を撮る意思はありますか?それとも芸術映画の路線を保持しますか?

 どこかに中間的な立ち位置を見つけたいと思っています。マラヤーラム語映画なら、それが可能だと感じています。あまりに商業的な「マサーラー映画」でもなければ、かといって芸術性に偏りすぎた難解な作品でもない――その中間に位置するようなジャンルがマラヤーラム語映画界で生まれつつあり、それによって、とても人間味のある物語を、非常にリアルな手法で描くことが可能になってきています。私自身も、そうした領域を目指しています。

7.『ヴィクトリア』『Feminich Fathima〔フェミニスト・ファーティマ〕』(2024・未)、『グレート・インディアン・キッチン』(2021)など、リアルな女性の姿を描いた作品は多くが芸術映画ですね。あるいはそこに『私たちが光と想うすべて』(2024)を加えてもいいかもしれません。一方で、マラヤーラム語の商業映画はその文芸的な深さにより年々評価が高まっているのに、女性キャラクターは脇に追いやられていたり、型にはまった女性像であることが多いです。なぜだと思いますか?

 それについては彼(傍らの助監督サチン・スレーシュ氏)が答えるべきことかもしれません。でも彼は「ヴィクトリア・チーム(ヴィクトリアの側)」ですから、無理に答えさせるわけにはいきませんね。

 私たちが男性の物語を目にする文化に慣れきっているからこそ、そうなるのだと思います。これはマラヤーラム語映画に限ったことではなく、世界の映画界全体によく見られる傾向です。ローラ・マルヴィなどが提唱するフェミニスト理論でも語られていますが、私たちは「男性の視点(メイル・ゲイズ)」で映画を見ることに慣らされています。男性の視点で世界を見ることにあまりに慣れ親しんでいるため、そこから一歩引いて女性の視点で世界を見るようになるには、多くの時間がかかるでしょう。私たちは「ヒーロー(男性主人公)の人生」に共感することには慣れていますが、「ヒロインの人生」には馴染みがありませんよね。女性は男性主人公の人生に共感できますが、私たちが女性の人生を描いた場合、男性はそれに共感できるでしょうか? そこにはある種の「他者化」が生じてしまいます。女性は共感能力が高く、男性に感情移入できます。それは、世界中の映画を通じて、子供の頃から男性の視点で世界を見るように「訓練」されてきたからと言えるでしょう。

 一方、多くの男性は異性に共感するように訓練されていません。女性の立場に立って考えられる男性はごくわずかです。だからこそ、彼らは画面上で繰り返し男性を描くという安易な道を選ぶのだと思います。男性の人生には共感しやすいですし、その方がより多くの観客にアピールできるからです。『Aavesham〔熱狂〕』(2024・未)のような男性ばかりの映画であっても、女性である私たちも映画館に足を運びますよね。でも、もし私が女性だけの映画を作ったら、多くの男性は「ああ、これは女性向けの映画か。自分には関係ないし、共感できないだろうから見に行かなくともいいだろう」と考え、映画館にさえ行かないのではないでしょうか。つまり、今の状況は家父長制の延長線上にあるわけです。もしかすると、女性キャラクターや女性を中心とした映画をたくさん作っていくうちに、状況は変わるかもしれません。女性にも語るべき面白い物語があるのだと、多くの人が気づいてくれるようになるのではないでしょうか。多くの上映会で、男性たちから感想を聞く機会がありました。彼らの多くは、それまで女性専用のビューティーサロンに足を踏み入れたこともなければ、女性同士がこのように交流する様子を目にしたこともなかったため、本作はは非常に新鮮だったと語ってくれました。彼らにとっては新しい体験だったのです。おそらく状況は変わりつつあるのでしょう。

8.次作について何か考えていらっしゃいますか?

特に予定はありません。短いあらすじのようなものをいくつか書いてはいますが、内容を薄めたようなものではありません。

9.日本の観客にお勧めのマラヤーラム語映画、あるいはインド映画を幾つか挙げていただけますか?

 そうですね、G・アラヴィンダン監督の『魔法使いのおじいさん』(1979)のような作品もそうですが…あと、とても興味深い短編映画があります。『Freedom Fight〔自由のための戦い〕』(2022・未)というアンソロジー映画の中の一篇で、クンニラ・マーッシラーマニ(Kunjila Mascillamani)という女性監督が手がけたものです。きっと気に入っていただけると思います。新作ではなく、数年前の作品ですが。そのセグメントのタイトルは「Asanghadithar〔未組織化〕」といいます。自分たちのためのトイレを確保する権利を求めて戦う女性たちを描いた作品です。彼女たちは商店街で働く販売員などなのですが、接客のため立ちっぱなしでいなければならず、勤務中にトイレに行くことを許されていなかったんです。そこで、トイレを使う権利を求めて戦うことになったのです。これは実際にケーララ州で起きた出来事を題材にしていて、とても興味深い作品です。実際にその戦いに関わった当事者たちを起用している点も面白いですね。彼女たちが自ら出演しています。最近の作品の中では、特に気に入っている一本です。

 『女の子は女の子』(第25回東京フィルメックスで上映された2024年のヒンディー語作品)も好きでしたね。最近、各地の映画祭で上映されていた作品です。

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「あいち国際女性映画祭2026」がすでに閉幕してしまったのが残念だが、気長に待てば、どこかで再上映のチャンスがあるかもしれない。今回のインタビューで監督からうかがった作中の細かいモチーフについてのコメントも、その際に共有する機会があることを祈りたい。(聞き手:安宅直子)

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