祝!ディスク発売 『PS』2部作を文学とともに味わう(安宅直子)
2024年に日本で劇場公開されてから2年ののち、タミル語映画『PS1 黄金の河』(2022)、『PS2 大いなる船出』(2023)2部作がついにブルーレイとして発売される。[1]巨匠マニラトナム監督によるオールスター・キャストの畢生の大作は劇場の大スクリーンで鑑賞するのが最もふさわしいが、ディスクにはディスクの楽しみ方もある。音楽監督A・R・ラフマーンの手になる楽曲を繰り返し聴き、歌詞やピクチャライゼーションの細部までを味わうのはその筆頭と言っていい。
10世紀のチョーラ朝を舞台にした時代劇『PS』2部作の、全14曲のサントラ、そして幾つかの歌詞付きBGMは、タミル地域の文学的遺産から大いに養分を得て成立している。それは舞台となっている時代だけではなく、紀元前後から20世紀に至るまでの文学の大河からその精髄を汲み上げて取り込んだという意味である。
「実際のところ、この時代にどんな音楽が奏されていたかは全く分からない」とA・R・ラフマーンも言う。タミル語映画に限らず、そして音楽に限らず、近世よりも前の時代を扱うインド映画の歴史ものでは、考証を厳密に行い時代精神を描出するのは、史料が極端に少ないため不可能に近い。手がかりとなる史料は、宗教建築と韻文を中心としたテキスト類が中心だ。しかし、当時の文献に記された言葉は現代の観客には難解で、そのまま取り入れるわけにはいかない。『PS』の筆頭作詞家として大抜擢された詩人のイランゴー・クリシュナンは「タミル地域は14世紀にヴィジャヤナガラ朝の支配下に入りテルグ語を話す君主を戴くようになり、これ以降タミル語は大きく変わった。それ以前の時代のタミル語を現代の観客が耳にしたら、ちょっとマラヤーラム語を思わせる耳慣れない言葉と感じられるだろう」と述べている。こう書くと、『ツーリストファミリー』(2025)で主人公一家が話したスリランカ方言の古風なタミル語が思い起こされるかもしれないが、チョーラ朝のタミル語の古さはそれとは比べ物にならない。
『PS』の製作者たちは、作中の言語をどのようなスタイルにするかを検討し、観客にストレスを与えずに物語に没入してもらうために、登場キャラクターが口にする台詞は、現代タミル語をベースとして、効果的な箇所のみ古風な表現をまじえることを決めた。一方でソングの歌詞に関しては、ヒップホップ・リリックからサンガム期(後述)の古典詩の引用まで、そしてタミル語だけではなくサンスクリット語の韻文までもを取り込む、斬新なアプローチを行った。「今の時代、意味の分からない言葉が出てきても、ネットで調べられる。AIに尋ねたっていいしね」とマニラトナムとA・R・ラフマーンはクールに語る。そして実際、本作公開の前後には、現地のファンたちによる楽曲歌詞についての多数の考察がネットを賑わせた。
本稿では、そうしたファンたちの考察に教えられたことや、本作の字幕翻訳コーディネート作業の中で筆者が調べたことなどをまとめ、全曲分ではないがライナーノーツ風の読み物とした。個別の楽曲を紹介する前に、タミル地域の文学史をざっとおさらいしておこう。時代区分は東京外国語大学学術成果コレクション『言語別南アジア文学ガイドブック』の「インドの古典語 ータミル文学の世界ー」[2]に全面的に依拠したが、『PS』2部作に関係する作品や出来事などを追記している。

© Madras Talkies © Lyca Productions

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文学史
①古典文学期(紀元前後~250年)
今日のタミルナードゥ州・ケーララ州を中心とする地域がチョーラ、チェーラ、パーンディヤの古代3王朝(『PS』に登場するチョーラ、パーンディヤとは名前だけが共通の別の王朝)やその他の小首長国に分かれていた時代。2大詞華集、『エットゥトハイ(8詞華集)』[3]と『パットゥパーットゥ(10の長詩)』[4]が今日まで残る。これら詩集は身分もさまざまな詩人たちの作品群を編纂したもので、古代パーンディヤ朝の首都マドゥライに存在していたとされる文芸院サンガムにちなみ、サンガム文学とも呼ばれている。特筆すべきは、多くの詩が宗教的要素を持たず、北インドのサンスクリット語の影響も見られないこと。詩のテーマは恋愛(アハム)と戦争(プラム)[5]に大別されるが、作例数では恋愛詩が優勢である。恋愛詩は5つのジャンルに分かれ、男女の出会いから結婚生活に至るまでの5段階が割り当てられ、それぞれに俳句の季語にも似た決まったモチーフを歌い込むルールがある。5つのジャンルは山岳から海岸に至る5つの地勢とそこに咲く花の名で分類される。例えば出会いの局面を描くクリンジ・ジャンルでは、舞台は山地で、そこに咲くクリンジの花、蜂、孔雀、ムルガン神、渓流・滝などを取り込み、それらモチーフがジャンルの識別子となる。戦争詩も同じく花の名を持つ7ジャンルに分けられる。詩人は必ずしも実人生の恋愛を詠うのではなく、たとえば「恋人に会えない辛さを嘆くヒロイン」のような決まったシチュエーションを技巧を凝らして韻文にする。このように高度に様式化されながらも、具体的な自然界の事物や現象を多く含む詩句は、瑞々しい情趣を湛える。この時期の作品は、今日のものとは大きく異なる古い語彙からなり、現代のタミル人が訓練なしに読んで理解することは困難とされる。
②古典文学後期(250~550年)
この時期の文学作品も広義のサンガム文学と呼ばれることもあるが、前期と様相は異なる。サンスクリット語をはじめとする北インド文化の影響が強くなり、ジャイナ教、仏教、ヒンドゥー教など北インド発祥の宗教がタミル地域に浸透し始め、文学では宗教的・教訓的な作品が現れる。最も有名なのが、1330の2行詩からなる箴言詩集『ティルックラル(聖なる2行詩)』[6]だ。インド人にとっての人生の3大目標と言われる、法(ダルマ)、実利(アルタ)、愛欲(カーマ)は、サンスクリット語ではそれぞれの法典群(シャーストラ)を持つが、ティルックラルはそれらに相当する内容を1冊でカバーする。古典文学作品としては例外的に比較的平易なタミル語であるため、現在も公教育の場で児童に対し暗唱の訓練が行われることがある。この時期の後半にはタミル語文学史上初の叙事詩『シラッパディハーラム(踝環物語)』(5世紀ごろ)[7]、『マニメーハライ(宝石の帯)』(6世紀?)[8]が現れる。前者はジャイナ教徒、後者は仏教徒の手になるもの。双子の叙事詩と言われるこれら2作品はいずれも女性を主役としており、特に前者の主役カンナギは神格化されて現在に至る。
③バクティ文学期(550~900年)
タミル地域においてジャイナ教、仏教、ヒンドゥー教が競い合い、ヒンドゥー教が勝利を収めた時期。バクティ(神に対する熱烈な帰依信仰)の気運が盛りあがり、文学も宗教的な色に染め上げられる。ヒンドゥー教世界では風下にあったタミル地域だが、タミルの地で生まれたバクティ運動は逆に北漸し、遠くカシミール地方にまで至る。[9]バクティの伝道者たる宗教詩人たちはシヴァ派とヴィシュヌ派に大別され、シヴァ派宗教詩の集成『ティルムライ(聖なる秩序)』が編まれ、その中の初期3大詩人(サンバンダル、アッパル、スンダラル)のものをデーヴァーラム(神への讃歌)と呼ぶ。一方ヴィシュヌ派の12大詩人(ペリヤールヴァール、ナンマールヴァール、アーンダール、ティルマンガイ・アールヴァールの4人が代表的)のものをディヴィヤ・プラバンダム(聖なる作品集)と総称する。古典期の文学は忘れ去られたが、その瑞々しい自然描写は宗教文学の中でも命脈を保ち、タミル語宗教詩の独自性として残った。
④中世文学(900~1750年)
チョーラ朝の庇護のもとでシヴァ派が圧倒的な勢力となる。ヒンドゥー教の隆盛とともに多量のサンスクリット語彙がタミル語に入り、両者が混じりあった語体が生まれる。カンバン(9/10/12世紀説あり)の『カンバ・ラーマーヤナム』は代表的作品。この時期には韻文の種々の様式(プラバンダ)が発達し、アンダーディ、ウラー、パラニなどが現れた。
⑤近代文学前期(1750~1900年)
イギリスをはじめとした列強によるインド侵略・支配の時期、西欧から印刷技術がもたらされ、識字率も高まる。ジャーナリズムが生まれ、散文による本格的な文学も現れる。19世紀後半には、中世以来忘れ去られていた古典期のサンガム詩に近代的な校訂を付した出版物が現れ、「タミル・ルネサンス」の端緒となった。これは西欧のルネサンスと同じく、古典が再評価され、同時代の文化・思想を活性化させた現象である。この古典の再発見は、少し遅れて現れた「ドラヴィダ民族主義」の文化・政治運動の理論的支柱の一部をなすにいたる。北インドからもたらされたヒンドゥー教とサンスクリット文化が全面的に浸透する以前の、“純粋なタミル文化”という概念がタミル知識人の自尊心を大いに刺激し、それがイギリスの植民地支配への抵抗だけではなく、北インドへの対抗心を包摂する民族主義の燃料となった。
⑥近現代文学期(1900年以降)
近代タミル語文学で最大の詩人とされるスブラマニヤ・バーラティ(1882~1921、尊称でバーラティヤール)は口語を取り入れた詩や散文により近代文学の基礎を築いた。国民会議派に所属し、対英独立運動を鼓舞する愛国詩で知られるバーラティは、同時に「カンナンマ」連作(詩集『カンナンの歌』の一部)や『カッコウの歌』[10]など恋愛・哲学・信仰を歌った名詩でも記憶される。その後1950年代のタミル社会では、実態ある政治運動となったドラヴィダ民族主義が大きな勢力となり、最終的にドラヴィダ民族主義政党DMKによる国民会議派からの州政権の奪取(1967年)に至る。[11]ドラヴィダ民族主義は映画界でも主流となり、ヒンドゥー教伝来以前からの独自の文学伝統を持つタミル民族の尊厳を称揚し、北インドから渡来したヒンドゥー教祭司の末裔とされるバラモン階級の権益独占と腐敗を糾弾する作品群がヒットし、それらはDMK映画と呼ばれた。現代まで続くタミル語映画全般のセキュラリズム(世俗主義)の源流はこの時代に遡る。[12]20世紀中盤以降には、読みやすい文体で『ポンニイン・セルヴァン』(映画『PS』の原作)など歴史小説を多く著したカルキ(1899~1954)、邦訳も出版された社会派小説家ジャヤカーンタン(1934〜2015)[13]など、多数の散文著述家が現れた。カルキは、北インド文化の押し付けであるとしてヒンドゥー教そのものを否定するような過激なドラヴィダ民族主義とは距離をとる、穏健な保守派の立ち位置から、『ポンニイン・セルヴァン』でチョーラ朝の栄光と熱を帯びたバクティの世界とを描き出した。

サンガム恋愛詩のジャンル名ともなっているクリンジは、西ガーツ山脈の高地で12年に一度だけ開花する希少な植物。ただし12年の周期は所によってずれるので、毎年のようにどこかで開花の報告が上がる。次の大規模開花は2030年とされている。ニーラクリンジともいい、学名はStrobilanthes kunthiana。(撮影:安宅直子)
注(イントロ&文学史)
[1]SPACEBOXより発売。販売方法などの詳細は同社のnoteを参照。
[2]粟屋利江・太田信宏・水野善文(編)『言語別南アジア文学ガイドブック』東京外国語大学拠点南アジア研究センター、2021。ダウンロードページ。
[3]高橋孝信(訳注)『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩(うた)』平凡社、2007。
[4]高橋孝信(訳注)『パットゥパーットゥ 古代タミルの「十の長詩」』平凡社、2024。
[5]「戦争詩」と総称されるとはいえ、必ずしも勇ましく好戦的なものばかりではなく、王の公正さや気前の良さへの賞賛、戦いの後の無常感、戦死した兵士の妻の嘆きなど、さまざまなテーマがある。
[6]高橋孝信(訳注)『ティルックラル 古代タミルの箴言集』平凡社、1999。
[7]イランゴー・アディハル(著)、彦坂周(訳注)『シラッパディハーラム:アンクレット物語』きこ書房、2003
[8]サーッタナール(著)、彦坂周(訳注)『マニメーハライ:不思議な鉢をもった少女の出家物語』きこ書房、2004
[9]バクティは「ドラーヴィダ(南インド)で生まれ、カルナータカで成長した。マハーラーシュトラでは尊敬されたが、グジャラートでは老いてしまった。しかしヴリンダーヴァナに到達すると、新しく生まれ変わった」という趣旨の記述が、14~16世紀成立の聖典『パドマ・プラーナ』第6巻(Uttara-khanda)第193章47-52にある。
[10]バーラティの単独の邦訳書は知る限り存在しない。辛島昇(編)『辺境の世紀末 二十世紀の意味を解きあかす「辺境」からの物語』(平凡社、2000)に所収の辛島昇によるエッセイ〈黎明の詩人、スブラマニヤ=バーラティにみる「辺境」インドの世紀末〉はその生涯を概説し、『カッコウの歌』の一部の翻訳と解題を含む貴重な邦文資料。
[11]1967年にDMK党が政権を担って以来今日まで、タミルナードゥ州の政権は常にドラヴィダ民族主義を謳う政党が担ってきた。中央で政権を争う全国政党であるBJPも国民会議派も、タミルナードゥ州では単独で政権を取る可能性はほぼない。
[12]テルグ語映画『バーフバリ』2部作(2015/17)が全インド的な大ヒットを記録して以降、ヒーローをヒンドゥー教の神と重ね、神の罰として敵を誅するような演出のアクション映画、あるいはスーパーヒーローもののフォーマットにヒンドゥー教神話の要素を加えたファンタジー映画がインド映画全体で盛行するようになったが、この10年ほどのタミル語映画ではそうした作劇で目立った成功作はない。ファンタジー・アクションとしては『マーヴィーラン 伝説の勇者』(2023)があるが、同作でも思わせぶりな宗教的仄めかしが示されながらも結局ヒーローに降りるのは神的な存在ではない。『PS』シリーズもまた、壮大な歴史を背景にしながら、神の介入のない人間のドラマに終始している。
[13]ジャヤカーンタン(著)山下博司(訳)『焼身(現代インド文学選集 5)』めこん、1997。
楽曲別紹介
※楽曲のナンバリングはブルーレイのミュージック・チャプターに対応。また場面説明の〈〉の数字はブルーレイでのおおよその時間を示す。
雲が雨を降らす、ひんやりした聖地
ティルッパラングンラムの騒がしいざわめき、
喧騒の中にいる女たちのひっつめた髪が花輪に映え
一緒になってともに踊る音!
そんなすべてが、広がった青い空に鳴り響き心地よく響く。
『PS1』
❶ポンニ河を見よう〔Ponni Nadhi〕作詞:カビラン 公式ソングビデオ
チョーラ王国の首都タンジャイ(タンジャーヴール)周辺の肥沃な稲作地帯、そしてポンニ河を初めて見るデーヴァンの高揚をそのまま表す導入曲。原作小説の第1巻第1章で、アーディ月(7月半ば〜8月半ば)の祭りに集う村人たちがテンマング[14]と称される民謡を歌う場面を発展させ、テーマをデーヴァンの心情に変えた歌詞をあらたに作詞し、西洋楽器も加えたオーケストレーションにより流麗な映画音楽としてまとめ上げた。映像は、上に引用した古典文学後期(→文学史②)の長詩『マドゥライ詠唱』の情景を思わせる。
5分近い全曲の映像化がなされたが、本編に使われたのは半分ほど。後半部の歌詞では、桃源郷のような村の様子に後ろ髪を引かれながら任務のために先を急ぐデーヴァンの決意が述べられる。[15]デーヴァンと愛馬センバ(タミル語で「栗毛/赤栗毛」の意味)とのコメディー・シーンまでを含む上記の公式フルビデオは必見。
❷デーヴァラランの舞〔Devaralan Attam〕作詞:イランゴー・クリシュナン 公式ソングビデオ
デーヴァラーラン(字幕ではデーヴァララン)とは、前面で踊る男(そして2部作の終盤までパーンディヤ国の刺客の1人として活動する)パラメーシュワランの別名。[16]チョーラ王国の繁栄を祈る託宣の体裁をとりながら、裏にはパーンディヤ国残党の復讐の誓いが透ける、不気味さを湛えた歌詞。伺いをたてる相手はムルガン神。バリ島の芸能ケチャのスタイルを取り入れた長い前奏のコーラスのあと、「槍をもつ赤い神よ」[17]とムルガン神を讃えながら呼びかけ、それから「恵みの雨は降るか?国は栄えるか?」と伺いをたてる。それに応じたムルガン神からのお告げが「女神に生贄を捧げよ」などと続く。
ムルガン神は南インド固有の古い神々の中の代表格。もともとは山岳の部族の人々の信仰対象だったとされており、取り憑く神・お告げをもたらす神としての性格が強く、恩寵や慈愛とは無縁の存在だった。その後ヒンドゥー教に取り入れられて、シヴァ神の次男(長男はガネーシャ)の立ち位置に落ち着き、さらに軍神スカンダ(カールティケーヤとも)と習合し、また韋駄天の名で仏神ともなった。特徴的な持物はヴェールと称される槍で、またしばしば孔雀を伴い図像化される。ゆかりのある花は、有毒植物として有名な夾竹桃。
文学作品の中で見てみると、2大詞華集『エットゥトハイ』と『パットゥパーットゥ』(→文学史①)の中では、ムルガン信仰の古層からヒンドゥー教的な神格への移行への各段階が作品ごとに異なった現れ方をしている。[18]バクティ運動を経た中世文学(→文学史④)には、15世紀のアルナギリナーダルのように生涯をムルガン讃歌に捧げた聖人も現れる。しかし軍神としての属性から、ムルガンを父シヴァ神にも勝る全能の神と讃える詩の中にも、古代の残照のように神憑りの舞や供犠を伴う戦勝祈願のイメージが明滅する。アルナギリナーダルの代表作のひとつ「ムッタイッタル(真珠のような歯の笑みをお与えください)」[19]が(特に後半の)畳みかけるようなリズムや語彙[20]において「デーヴァラランの舞」にインスピレーションを与えたとする意見も現地観客の間に見られた。
本楽曲は、ムルガンの最も古い形態である憑依の神への呼びかけと、ヴェーラン(祈禱師)による神憑り託宣の儀式をイメージした舞と歌詞からなる。サンガム詩の作品群からインスパイアされたことが濃厚な原語歌詞では、ムルガン神に対し、セーヨーン、ヴェーローン、カダンバ(シヴァ神の眷属の1人の名、花の名でもある)、イドゥンバ(ムルガンに降伏した魔族の名前から転じてムルガンの別名になった)、カディルヴェール(輝光を放つ槍)と幾つもの異名で呼びかけ、時代が下ってからのものであろうクマラ(シヴァ神の息子)の呼称も現れる。
また後半では供物として「(動物の)血をまぶした穀粒」を捧げよとの文言もあり、古代の信仰の幻妖な世界が想起される。供物を捧げる先はサンカリ女神、スーダニ女神、バイラヴィ女神で、いずれもシャクティ的な性格が強い。これら女神は、ソング冒頭で顔を黒く塗った女性ダンサーが再現し、背後に神像が現れるコットラヴァイ女神と同一のものと考えられる。[21]コットラヴァイ(字幕ではカーリーと翻案)はムルガンと同じく、古くから崇拝されている女神で、戦いを司るとされ、ムルガンの母と見なされてもいた。ヒンドゥー教化されてのちにカーリー女神と習合した。コットラヴァイ神像は、森の中での集会の場面〈00:55~〉や『PS2』の〈00:40〉、〈01:30〉にも現れる。
歌詞は「血をまぶした穀粒」からエスカレートして「王の首」「若い首」をも供物とするように求める。これはチョーラの王と2人の王子を弑することの暗示ととれる。終わりの方で言及される蟻塚はチョーラ王室、蟻塚に登る蛇はナンディニ、虎はチョーラ王室、カラスは死神シャニの遣いと読む解釈もある。そして犠牲が要ると結論づけることで、映画冒頭の不吉な彗星の予言「チョーラ王室のメンバーの血が流されること」〈00:03〉と符合する内容となっている。
❸魔王の伯父さん〔Ratchasa Maamaney〕作詞:カビラン 公式ソングビデオ
シヴァ派を奉じたと記録されているチョーラ王家で、クリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)の舞踊劇が催されていることが目を惹く。自分を殺す者(クリシュナ)が間もなく誕生するという予言に怯え嬰児の虐殺を繰り返したカンサ王を、難を逃れて腕白な男児に成長したクリシュナがからかうという、聖典にはないシチュエーションを描く。ダンスは20世紀に成立したバラタナーティヤム・バレエ[22]から着想したものに見える。宙吊りの縄を引く裏方まで女性のみで構成された朗らかな寸劇にデーヴァンが乱入すると、ソングは男声に変わる。この男声部分の「北のマドゥライ」の文言が興味深い。クリシュナ神話でその生誕地とされる、現ウッタル・プラデーシュ州のマトゥラーは、ヴィシュヌ派文献によればタミル地方南部の古都マドゥライの語源になった地名だが、ここでは敢えて転倒させて「マドゥライの北インド版」としてマトゥラーを形容したのだろうか。あるいは、古代パーンディヤ朝の庇護のもとに開設された文芸院サンガム(→文学史①)の変遷史の3区分のうち、同国が津波または洪水で被害を受けたために移転して最後のサンガムが置かれたという伝説がある「北のマドゥライ」(=現在のマドゥライ)[23]という解釈か。普通に考えれば前者が有力だが、後者も捨てきれない。
❹カダンバ樹の愛らしさ〔Kadambaruchimambaravasam〕
上記「魔王の伯父さん」男声部のリズムとメロディーを流用しながら、続く優しい恋の歌「心のなかで微笑みが生まれ」への橋渡しになっている。歌詞はサンスクリット語で、タミル地方にゆかりのある伝説的な聖仙パタンジャリの作とされる、シヴァ神を讃えるナターラージャ・ストートラム(讃歌)。[24]「チダンバラムの舞踏王」とシヴァ神を形容する歌詞は、直前でデーヴァンが口にする「水が怖くて震えたのではない、(今の動きは)アスラ王のターンダヴァである」という台詞を受けたもの。ターンダヴァとは通常はシヴァ神が踊る男性的な激しい踊りを指し、シヴァ神が司る宇宙の創造から破壊までのサイクルを象徴する。本編では使用されなかったが、同じ歌詞でターンダヴァの荒々しさを表現した別バージョンBGMも録音されている。[25]
チダンバラムはタミル地方中部の都市で、10世紀創建(異説あり)のシヴァ・ナターラージャ(舞踏王)を祀る大寺院は街の代名詞。俗にチョーラ・ブロンズと呼ばれるチョーラ朝期のブロンズ彫刻には、この踊るシヴァ神をかたどったものが多く残る。
歌い出しの「カダンバ樹」はインドで広く生育する樹木で、タミル語ではカダンブ(和名はクビナガタマバナノキ、学名はNeolamarckia cadamba)という。鞠のような形の花は香り高く、北インドではクリシュナ神、南インドではシヴァ神やムルガン神ゆかりの花とされている。「デーヴァラランの舞」の中ではムルガン神の異名のひとつとして言及されていたが、本楽曲ではシヴァ神に紐付けられている。
❺/PS2❹心のなかで微笑みが生まれ〔Aga Naga〕作詞:イランゴー・クリシュナン 公式ソングビデオ
『PS1』ではBGMの扱いだったにもかかわらず、発表時点で大評判になり、『PS2』ではサントラに加えられた。歌詞の一部は、中世に成立したアンダーディと呼ばれる形式(→文学史④)をとり、前行の末尾の単語の音節を繰り返しながら次の詩句を展開する。歌い出し部分の歌詞は、タミル語ネイティブ話者にとっては『ティルックラル』(→文学史②)の第79章786番「顔に笑みを浮かべて交わるのが友情なのではない。/心の中で〔喜びに〕笑みを浮かべ〔相手を〕思うことが友情なのである」[26]を即座に連想させるものだった。4分ほどのソングのうち、2部作を通じ本編で使用されたのは前半だけだが、後半のテーマは男女の愛からチョーラの国土への愛に変わる。
なお、タミル語映画『’96』(2018)の本編不使用ソングにも「Anthaathi」というものがある[27]が、これは愛する相手を無限の存在になぞらえたもので、歌詞自体はアンダーディ形式をとっていない。
❽月は海の深さを知ってるかしら〔Alaikadal〕作詞:シヴァ・アナント 公式ソングビデオ
「Alaikadal(波たつ海)」というタイトルは、プーングラリが口にする舟唄の歌い出しの語として原作小説(第2巻第4章)に現れるが、サントラの歌詞はオリジナル。アルンモリ王子を手の届かない月に、プーングラリの恋心を深い海になぞらえる。舟唄はタミル語では「カッパル・パーットゥ」と称され、緩やかで規則正しいリズムと「イェロー、イェッレッロー」という合いの手を特徴とする。
思いの深さを海の深さになぞらえる修辞は、『エットゥトハイ』(→文学史①)の中の戦争詩集「プラナーヌール」の第20番によく似たものがある[28]が、原語で見比べると、この古典詩と「月は海の深さを知ってるかしら」とでは「海」という基本的な語彙ですら全く異なる。「月は海の深さを知ってるかしら」は詩想だけを古典詩から受け取り、現代タミル語の語彙でそれを再構築したものと言えるかもしれない。
❾頭に白い月をつけ〔Thoo Venmathi〕 公式ソングビデオ
初期バクティ文学(→文学史③)のシヴァ派詞華集『ティルムライ』の第1巻第1番の有名なデーヴァーラムの前半部をそのまま使用した歌詞。作者は初期3大聖人の筆頭、7世紀のサンバンダル。[29]シヴァ神を讃え、「耳飾りを着け、頭髪に三日月を飾り、聖牛ナンディに乗り、火葬場の灰を全身に塗った(墓場での瞑想行を意味する)、私の心を盗んだお方」と呼びかける。カルキによる原作小説には、散文により進行する主筋に、さまざまなタイプの韻文が織り込まれた歌物語としての側面もある。それら韻文は、カルキ自身の創作のこともあれば、バクティ文学の名詩の引用であることもある。後者の場合、シヴァ派のデーヴァーラムは花売りの青年セーンダン・アムダン、ヴィシュヌ派のディヴィヤ・プラバンダムは遊行僧ナンビが歌うケースが多い。

チョーラ王国中興の祖であるラージャラージャ1世(アルンモリ王子の即位後の名)が11世紀初頭に建立したタンジャーヴールのブリハディーシュワラ寺院(通称ビッグ・テンプル)にあるシヴァ・ナターラージャの壁画。壁画は後代のものと思われる。(撮影:安宅直子)
『PS1』注
[14]タミルナードゥ州の芸術・文化局が紹介する典型的なテンマング・ソング(動画)。
[15]『PS1』ブルーレイ封入特典の歌詞カードに収録。
[16]デーヴァラーランとは「神の憑坐となる者」の意味。古典文学ではヴェーランと称され、ムルガン神への祭祀であるヴェリ祭を執り行った。ヴェーランがいつデーヴァラーランという呼称になったのかは分からない。ヴェリ祭ではクラヴァという山岳部族の女性たちが供え物をしてクラヴァイ・クーットゥと呼ばれる輪舞を踊り、その後ヴェーラン自身が踊るうちにトランス状態になり、ムルガン神のお告げを口にするという進行だったようだ。原作小説の第1巻第5章ではクラヴァイ・クーットゥとデーヴァラーランの舞い・託宣という儀礼の2段階が再現されているが、『PS1』のこのソングでは両者をひとつのダンスとして演出している。クラヴァイ・クーットゥは『シラッパディハーラム』(→文学史②)の第5章にも描写されており、そこでは祭祀に参加したクラヴァの女たちが「王とその統治する広大な王国には、決して飢饉や病気、あるいは紛争のないことを。そして雨期が到来すれば雨を降らせ、豊穣に恵まれんことを」と祈念する(『シラッパディハーラム:アンクレット物語』P.90)。
[17]この箇所ではムルガン神に対し、古い呼称「セーヨーン(赤い神)」、「ヴェーローン(槍を持つ者)」が使われている。古典タミル語の「赤(cem)」は、文字通りの「赤色」とともに「美しさ」という意味を併せもっていた。本楽曲では冒頭のコーラス「赤 赤 鮮やかな赤」に始まり、セーヨーン、血をまぶした穀粒、赤い血、夾竹桃などさまざまなニュアンスの赤のイメージが歌詞に散りばめられ、画面にもそれが反映されている。
[18]古典期のサンガム恋愛詩におけるムルガン神は、邦訳のあるものだけでも、恋愛詩集「クルンドハイ」の362番(『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.69)、恋愛詩集「ナットゥリナイ」の34番(同、P.82)、恋愛詩集「アハーナーヌール」の22番(同、P.111)、恋愛詩集「アイングヌール」の243番・250番(同、P.173、P.174)で言及されるが、いずれも乙女の恋煩いがムルガン神の憑依と誤解され、憑きもの落としの儀礼のために専門の祭司ヴェーランが呼ばれるという滑稽味のあるシチュエーションを描く。戦争詩集「プラナーヌール」の259番(同、P.266)ではムルガン神に憑依された身分の低い女性の様子が、暴れ牛を形容するために用いられており、こちらも神性を讃える文脈ではない。しかし古典期でも年代が下った5~6世紀の長詩「ムルガン神への誘い」(『パットゥパーットゥ 古代タミルの「十の長詩」』P.17~)になると、天界の諸神からも鑽仰される美と強さを併せ持つ青年神に変じる。
[19]「ムッタイッタル」には、神話映画の中に取り入れられたソングも含め、さまざまな歌い手の歌唱が動画サイト上に見つかる。ここではバクティ歌謡専門の少年歌手スーリヤナーラーヤナンのものを紹介する(動画)。
[20]上記ビデオの2:20あたりからの「コットゥ」「コッタ」「クック」などの弾けるような音の連続が「デーヴァラランの舞」の歌詞に流れ込んでいるという見解もある。
[21]ヒンドゥー教では、最高神とされるシヴァやヴィシュヌも、自身は静的な存在であり、そこにそれぞれの神妃である女神が体現する力(シャクティ)が加わることで宇宙の運行が可能となるという考え方がある。シヴァ派、ヴィシュヌ派と並び、それら女神を崇拝するのがシャークタ派である。しかし、このような正統的ヒンドゥー教の世界の外にも、村落レベルでは名もない無数の女神も存在する。サンカリ、スーダニ、バイラヴィもこの系列に連なり、タミル古典ではコットラヴァイが代表格。『インド思想史 下』(吉永清孝、春秋社、2026)では、こうした女神たちを「戦闘女神」と規定してその系譜を詳説(P.166〜172)している。
[22]寺院で踊られていた伝統舞踊サディラーッタムが、舞踊家ルクミニ・デーヴィによりステージ・パフォーマンスにも対応する近代的芸術様式バラタナーティヤムとして体系化されたのが1930年代。ルクミニはさまざまな試みの中で、より物語的な「舞踊劇(ダンス・ドラマ)」という群舞の形式を編み出した。これが俗に「バラタナーティヤム・バレエ」と称されることがある。
[23]古典期には「クーダル」という名前で呼ばれていたマドゥライの都は、伝説によればおそらく津波や洪水が原因で2回場所が変わっている。文芸院サンガムもそれに合わせて「南のマドゥライ」、「カバーダプラム」、「北のマドゥライ」と移転した。「サンガム伝説」について詳しくは『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.323~を参照。
[24]Shaivam.orgのウェブサイトでナターラージャ・ストートラム全10篇の原文と英訳が参照できる。
[25]ただし公式音源としてはネット上に残存していない(動画)。
[26]『ティルックラル 古代タミルの箴言集』P.127
[27]「愛 この大いなる思い」のタイトルで『’96』のDVDおよびブルーレイの映像特典として収録。公式ソングビデオあり。
[28]「大きな海の深さも/広い大地の広さも(中略)それらを測り知ることはできても/知と、愛情と、大きな恵み深さゆえに汝は測り難い」(『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.199)。
[29]フランス極東学院ポンディシェリ校ウェブサイトの「Digital Tēvāram」上でサンバンダルのデーヴァーラム383篇の原文と英訳が参照できる(1. Campantarのリンクから入る)。

アーンダールの伝説で知られる、タミル地方中部のシュリーランガムにあるランガナータ寺院。(撮影:安宅直子)
『PS2』
❶恵み深き雨の神よ〔Aazhi Mazhai Kanna〕 公式ソングビデオ
ヴィシュヌ派12大詩人(→文学史③)の中で唯一の女性詩人であるアーンダールの詩集『ティルッパーヴァイ(聖なる誓願)』第4の詩をそのまま使用している。[30]アーンダールは8世紀のパーンディヤ国の生まれで、世俗の結婚を拒み、ひたすらヴィシュヌ神への愛を歌い続け、タミル地方中部シュリーランガムのランガナータ神(ヴィシュヌ神の一形態)との神秘的な“結婚”を執り行い、自身が女神として祀られるに至った女性。『PS1』でナンビがデーヴァンにナンディニの過去について説明する際の「アーンダールのようになる」(字幕では「神に仕える立派な信徒になる」)という台詞〈00:29〉はこれをふまえる。[31]
全30篇からなる『ティルッパーヴァイ』は現代のタミル世界でも特別な意味を持ち、雨期にあたるマールガリ月(12月半ば〜1月半ば)の日の出前に未婚の女性たちが川や池で沐浴しながらその詩を1日ひとつずつ歌い、良縁の訪れを祈願するという風習がある。『PS』の時代に「女子の節句」的なその習慣がすでにあったかどうかは分からないが、沐浴風景の清涼な美しさと、喜ばしい降雨の予兆をはらんだ雲気の壮大さとを併せ持つこの曲は、2部作後半の冒頭を飾るにふさわしい。チョーラ国中枢のカーヴェーリ河デルタ地帯では、4~7月が夏(5月が酷暑期)にあたり、8月以降は緩やかに気温が下がるが少雨で蒸し暑く、北東モンスーンの影響を受ける10月〜12月に雨期となり、1月が最も過ごしやすい冬期。
字幕で「雷はほら貝のように鳴る」とある箇所は、原語歌詞では「ヴァランプリ(valampuri)」という単語を含む。これは右回りに巻きあがる貝殻のことで、自然界では比較的珍しいもの。欠損のない状態で見つかることは稀なため、縁起が良いものとされ、法螺貝などの聖具に使われる。タミル語文学では古典期から、もくもくと盛り上がる雲をヴァランプリと表現する例が見られる。[32]のちに法螺貝を持物とするヴィシュヌ神の連想が加わり、多重的なイメージを湛える語となった。
一般に右回りはヒンドゥー教や仏教ではポジティブな意味を持ち、寺院の参拝も境内の柱廊を右回りに歩む(右繞)のが原則。宗教慣行を離れても、都市にある公園などで観察すると、健康のための日課として園内を早歩きする人々さえもが揃って右回りに周回しており、興味深い。
❷MV勇ましき王よ〔Veera Raja Veera〕作詞:シヴァ・アナント 公式ソングビデオ
中世に成立したプラバンダ(→文学史④)のひとつであるパラニのスタイルを思わせる、王/王子の勇猛を讃える歌。「千頭の象を倒す」「敵の血で海は赤く染まる」などの勇ましく大仰な定型的修辞を用いて戦闘の苛烈さを描写するのがパラニの特徴。メロディーはヒンドゥスターニー音楽(北インドの古典音楽)のドゥルパド形式のシヴァ・ストゥティ(シヴァ神への讃歌)をそのまま使用している。[33]
余談ながら、タミル語映画『ジガルタンダ・ダブルX』(2023)終盤の楽曲(および劇中映画作品のタイトル)「森の挽歌」は原語で「Kaatu Parani(森のパラニ、Kaatubaraniとも)」と名付けられており、映画オリジナルの歌詞に古いジャンルの呼称パラニを逆説的に冠したものである。[34]
本曲を聴いたタミル人観客の多くが思い浮かべたのが、20世紀タミル文学の最大の詩人スブラマニヤ・バーラティの恋愛詩「カンナンマ」連作[35]のひとつ、歌いだしの語が同じ「小さなインコよ、カンナンマ(Chinnanjiru Kiliye, Kannamma)」だったという。なお、10連ほどのこの詩の途中に現れる「頬にキス(Kannathil Muthamittal)」というフレーズはマニラトナム監督の2002年作品のタイトルにもなっている。
「小さなインコよ、カンナンマ」は「小さな月よ」と冒頭の語が共通であることからの連想だが、内容の上では、同じ連作の「聖河のほとりで(Theertha Karaiyinile)」との類似が指摘された。逢いびきの場に恋人が現れなかったことで詩人が味わった悲哀と絶望感を歌うこの詩に、恋人が去ったことが生きる意味の喪失にまでつながっていく「小さな月よ」は共鳴し、個人の内面感情を表すのに「空は裂け/大地は傾いた」など、古典詩にはない激烈な修辞を用いているのが強い印象を残す。なお、バーラティの「カンナンマ」連作で呼びかけられるカンナンマは、妻のチェッランマのことと解釈できるが、恋人に擬えられたクリシュナ神であるという説も広く受け入れられている。
❸我は神なり〔Shivoham〕 公式ソングビデオ
『PS1』では信心三昧の生活を強いた母センビヤン皇太后に逆らい、首の数珠を引きちぎった〈01:10〉マドゥランダカ王子が、結局シヴァ派の修験者集団にサポートを求めるという皮肉な場面。
8世紀の南インドが生んだ最大の宗教哲学者シャンカラの手になるとされる、不二一元論(梵我一如、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ)のエッセンスを凝縮させたサンスクリット語シュローカ「アートマシャタカム」の一部をそのまま歌詞にしている。[36]「シヴォーハム」に含まれる「shiva」はヴィシュヌなどの他の神格との区別のための呼称ではなく、「神」そのものを意味する。ただし、学術的な文献批判の立場からは、シャンカラ作として残る韻文のほとんどが真作かどうか疑わしいものとされている。
中世文学(→文学史④)の初期にあたる『PS』の南インドは、仏教・ジャイナ教に対するヒンドゥー教側からの巻き返し(=バクティ運動)が完成した時期とされるが、ヒンドゥー教各宗派の間での論争が絶えなかったことは、『PS1』で遊行僧兼スパイのナンビが初登場するシーン〈00:13〜〉で、ヴィシュヌ派のナンビ、シヴァ派の僧、アドヴァイタ派の学僧が議論を繰り広げる情景にも見て取れる。
このソングのシーンで画面を埋め尽くす、蓬髪で灰を塗りたくったカーラームガルは、チョーラ王国地域に広く根を張るシヴァ派の修験者集団として原作小説ではかなりの紙数を割いて解説されている(特に第3巻第15章)。彼らはチョーラ王室のために活動することもあり、完全な悪役というわけではない。シヴァ派の中には、蛮声・裸形に始まり、世俗の良識に反するあらゆることを出家修行として行うアティマールガ(外の道)の系譜がある。代表格であるパーシュパタ派から派生した南インドのカーラームカ派(カーラームガル)は特にラーシュトラクータ朝からの庇護を受けた。
❻若き兵士はもう身につけず〔Ilaiyor Soodaar〕 公式ソングビデオ
古典期の詞華集『エットゥトハイ』(→文学史①)に収められた戦争詩集「プラナーヌール」242番、サーッタンという名の王の死を悼む詩[37]をそのまま使用している。「身につけず」、「摘まない」、「身につけない」、「飾ることはない」のが一体何なのかをサスペンスにしたまま形容句を積み重ね、最後に「ジャスミンよ」で種明かしする、定動詞の使用を極端に抑制する倒置的な修辞法は、サンガム古典詩の典型。このロジックや韻律がヒンディー語では馴染まないと判断されたのか、ヒンディー語版でのみ歌詞も音楽も全く異なるガザル風の「Mukti Do(解放をお与えください)」(作詞:グルザール)[38]が作られた。
サンガム期の古典詩を現代語に訳さずにそのまま歌詞として用いるのは、大衆的な映画としては冒険的なことだった。マニラトナム監督によれば、古代タミル文化の独自性を称揚した1950年代のDMK映画(→文学史⑥)においてすら、ソングに古典が取り入れられたことはなく、そうした試みは監督自身の過去作『ザ・デュオ』(1997)の「Narumugaye(ほころぶ蕾よ)」[39]が初めてだったという。[40]
またこの詩には「若き兵士はもう身につけず」という句がある。文学史①で述べたように、戦争詩も恋愛詩と同じく花の名を持つ7ジャンルに分けられるが、その7つのうち6つのジャンル名は、戦闘の諸局面で兵士が自身を飾った花の名である。映画『PS1』では、戦勝の宴でデーヴァンが耳に勝利のシンボルであるヴァーハイの花(これもまた戦争詩の中で勝利の局面を歌うジャンル名である)を耳に挟むシーン〈00:08〉があるだけだが、古代には戦場に赴く兵士たちが花冠で美々しく飾り立てられていたことは、戦争詩の実作品から分かる。2世紀ごろの成立といわれるサンスクリット語の叙事詩『ラーマ-ヤナ』にも「兵士たちは、南方出身の人たちのように(中略)芳香のある傷のない花を頭に飾っている」[41]という記述があり、戦地で兵士が花を飾る風習が南インド独自のものだったことを示唆している。
❾我らのタミル万歳〔PS Anthem〕作詞:シヴァ・アナント 公式ソングビデオ
「タミル語万歳/良き人々の国万歳/我らのタミル万歳」という単純で力強いタミル民族主義の発露は、やはりタミル人観客の胸を熱くさせたようだ。タミル語以外の各言語版では、この部分は固有名詞を排し王を讃える抽象的な文言になっている。しかし意外にも、このソングはまずヒンディー語曲として作曲されたとA・R・ラフマーンは語る。ヒンディー語圏へのプロモーション・ソングとして人気歌手アリジート・シンをフィーチャーする構想のもとで作曲され、後からタミル語など南インド諸言語バージョンに調整された。

花弁の先が尖った赤い花が毬状に咲くヴェッチ(和名:サンタンカ、学名:Ixora chinensis)は古典詩の戦争詩のジャンル名のひとつで、敵国の牛を略奪する際(緒戦)に兵士が身につけたものであるという。タミルナードゥ州中部クンバコーナムにて。(撮影:安宅直子)
『PS2』注
[30]『ティルッパーヴァイ』の英訳は複数の書籍が刊行されている。原文との対訳は、ノースカロライナ大学チャペルヒル校の電子図書館ibiblio.org上に全30篇の逐語訳が公開されている。
[31]『PS1』のこの部分および〈00:45〉でもたおやかな女声のBGMが流れ、歌詞はアーンダールの別の作品と推測されるが、台詞と被っているために聞き取りはできなかった。
[32]右回りに盛り上がる雨雲への言及は、たとえば恋愛詩集「アハーナーヌール」の43番に「海水を十分に吸い込み、孕んだような黒い雲が/光が垂直に走る稲妻とともに右に上がり~」(『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.117)とある。ここではヴィシュヌ神のイメージとの繋がりはない。一方、3世紀ごろのものとされる長詩「ムッライの歌」(『パットゥパーットゥ 古代タミルの「十の長詩」』P.105~)では、ヴィシュヌ神の「右巻きの巻貝の印をつけた(中略)腕から水が注がれると(中略)/動きの速い雲が、波音を轟かす冷たい海水を飲み込んで/右回りに昇って山に運んで湧き上がり、大雨を降らせる。」とあり、「右巻き貝~ヴィシュヌ~右回りに巻き上がる雨雲」というイメージの連鎖が成立している。
[33]来日してリサイタルを行ったこともあるパンディット・リトウィク・サンニャルらによるシヴァ・ストゥティの歌唱(動画)。 また別のドゥルパド・マエストロであるワーシフッディーン・ダーガルの同曲の歌唱(動画)。ワーシフッディーン・ダーガルは「勇ましき王よ」が自身のガラーナー(音楽家の一門、流派)の楽曲の剽窃であるとしてA・R・ラフマーンを名指しで非難した。ラフマーンは、シヴァ・ストゥティは14世紀の聖人ナーラーヤナ・パンディッターチャーリヤの手になるもので、現代の音楽家がコピーライトを主張できるものではないとして、剽窃を認めなかったが、両者の間の話し合いで「勇ましき王よ」のクレジットにダーガル・ガラーナーの名を付け加えることで落ち着いた。
[34]『ジガルタンダ・ダブルX』の監督カールティク・スッバラージによれば、パラニ・ジャンルの作品は、大殺戮で戦いに勝利した王の功績を、殺された側が神に向けて歌うという転倒した構造を持つという。ジャンルの代表作である12世紀の『カリンガットゥパラニ(カリンガのパラニ)』が、敵であるカリンガ国軍の象を1000頭殺したチョーラ王クローットゥンガ1世を讃えるものであることから、『ジガルタンダ・ダブルX』の作品世界にふさわしいものと考えて採用したと、同監督はインタビューで語っている。
[35]バーラティの詩作を俯瞰するものとしては、『Poems Subramania Bharati A Selection from Bharati' s Poems in Tamil original, Roman transcription and English translation』(Indira Arjun Dev, Santo Datta, Arjun Dev(編)、National Council of Educational Research and Training〈NCERT〉、1982)がインターネット・アーカイブにあり、「カンナンマ」連作の一部もタミル語・英語の対訳が収録されている。残念ながらここで言及した2篇は含まれていないので、それらについてはタイトルで検索し個人ブログなどでの紹介を参照されたい。「カンナンマ」連作は詩集『カンナンの歌』の一部で、カンナンとはクリシュナ神の別名。
[36]Sanskrit Documentsのウェブサイト上で「アートマシャタカム」の原文と英訳が参照できる。
[37]『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.257。また、以下のエッセイ中にも「例10」として収録されている。高橋孝信〈プラムは「雑歌」か―タミル古代文学のジャンル分け―〉万葉古代学研究所第2回主宰共同研究報告、2008。ダウンロードページ。
[38]「Mukti Do」公式ソングビデオ。
[39]「Narumugaye」公式ソングビデオ。
[40]「Narumugaye」では、俳優である主人公の幸福な新婚時代と、彼が出演するDMK映画のソングシーンとが連続するカットインで並行的に語られる。その歌詞には、恋愛詩集「クルンドハイ」の有名な40番「赤い大地に降った雨のように」の詩句が埋め込まれ、また映像には山地・孔雀・滝など、サンガム恋愛詩のクリンジ・ジャンルの定番モチーフが映り込んでいる。「赤い大地に降った雨のように」は、『エットゥトハイ 古代タミルの恋と戦いの詩』P.18を参照。『ザ・デュオ』(原題:Iruvar、1997)は福岡市総合図書館にフィルムが収蔵されている。
[41]『ラーマーヤナ』の第2巻「アヨーディヤー都城の巻」第93章。『新訳 ラーマーヤナ2』(ヴァールミーキ(著)、中村了(訳)、平凡社、2012)P.394。
ここまでに記したことには、ブルーレイだけではなく、参考図書を入手し、さらにはネットで原語テキストを見つけ参照して、初めて吟味が可能になるようなオタク的な要素も一部にある。タミル語映画の人気が牽引して日本でのタミル語の学習者も増えつつあると聞くので、あえてそうした深掘りも加えてみた。学習者の方々には、一部でもいいので辞書を引きながら原語テキストに取り組んでみてほしい(そして難解さに軽く絶望を味わってほしい)。そうすれば、ネイティブのタミル人がソングからどれだけの情報を受け取っているか、ソングというものがインドの映画の中でどれほどに重要なものかが、改めて実感され圧倒されることだろう。
著者プロフィール/安宅直子(Naoko Ataka)
南インド映画研究者。映画評論サイト「BANGER!!!」やウェブニュースレター「インド映画タイムズ」に不定期に寄稿。編著に『南インド映画クロニクル』(PICK UP PRESS刊)。『RRRをめぐる対話 大ヒットのインド映画を読み解く』(PICK UP PRESS刊)では編集を担当。他に『新たなるインド映画の世界』(共著)など。
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