私とインド映画(映画監督・寺崎みずほ)~ケーララ州のアラヴィンダン作品『魔法使いのおじいさん』を巡りたどりついたもの
今回の記念すべき1回目は、『佐藤忠男、映画の旅』の寺崎みずほ監督による寄稿をお届けします。
私は、映画評論家の佐藤忠男さんをドキュメンタリーを撮っていなければ、こうしてインド映画について語ることはなかったと思います。それに、インド映画に造詣が深いわけでもないので、私が今回の映画制作の過程で、ケーララ州のアラヴィンダン監督作品の『魔法使いのおじいさん』(1979)という映画をめぐる話をしたいと思います。

寺崎みずほ監督
2019年8月、佐藤忠男さんに初めてカメラを向けた。その日、佐藤さんはふいにこんな話をされた。「映画評論家というのは、しょっちゅう「あなたの生涯の一本は?」と問われる。私は一般的には小津安二郎の『東京物語』と答える。これは小津の最高傑作と誰もがわかっているから説明する必要がない。しかし、映画をよく見ている人には、インドのケーララ州の『魔法使いのおじいさん』だと答える。」
私はケーララ州という名前をこの時初めて聞いたし、もちろん『魔法使いのおじいさん』もそれを作ったアラヴィンダン監督のことも知らなかった。話を聞くと、佐藤さんは過去に「G.アラヴィンダン映画祭」を開催し、彼が学長を務めた日本映画大学の初年度の学生たちに一番最初に見せた作品も、その『魔法使いのおじいさん』だったということから、その心酔っぷりは相当なものだったとわかる。佐藤さんに『東京物語』と『魔法使いのおじいさん』は全く違うのですか?と聞くとおかしそうに笑いながら、「全然違うよ!まあ、なんというか素朴なものには敵わないからね!」と仰った。

『佐藤忠男、映画の旅』©GROUP GENDAI FILMS CO., LTD.
見てみたかったが、なかなかそれは叶わなかった。『魔法使いのおじいさん』はDVD化していない作品で、もちろんオンラインでも見ることはできない。日本国内でこのフィルムを所蔵している施設は2か所あり、福岡市総合図書館と川崎市市民ミュージアムだった。川崎市市民ミュージアムに問い合わせて、試写の手続きを進めていた矢先に、台風で氾濫した多摩川の濁水がフィルム保管庫に流れ込んでしまい、試写は絶望的だと知らせが入った。そうこうしている間にコロナ禍に入り、福岡に行くタイミングをも失っていた。さらに、1988年からNHKで佐藤さんがナビゲーターを務めていた番組「アジア映画劇場」で『魔法使いのおじいさん』は放送されていたことに気が付き、早速、NHKに問い合わせをしたが、残っていなかった。ダメ元で日本映画大学に問い合わせをしてみたら、番組を録画したVHSがあるとのこと。ようやくみられる!と、借りたVHSテープを再生すると、なんと録画ミスで、全く違う番組が録画されていた。そうして私は『魔法使いのおじいさん』を見ることができないまま2022年3月に佐藤さんとお別れすることとなった。
『魔法使いのおじいさん』の話を映画に入れ込みたいが、どうすればいいか?私を救ったのは、佐藤家に眠っていた5本のカセットテープだった。それは1994年放送のNHKのラジオ番組『いま、アジア映画がおもしろい』の録音テープで、佐藤夫妻がアジア映画について語っていたものだった。そこには、嬉々として『魔法使いのおじいさん』の素晴らしさを語る佐藤さんがいた。さらに意外だったのが、妻の久子さんも忠男さんと一緒になってこの作品を嬉々として語っていることだった。二人は邪気な弾んだ声で、アラヴィンダンを神様と称えていた。私はこのテープを何回も聞いて、やはりインド、ケーララ州のアラヴィンダンを探しに行かなくては、佐藤さんが最後に言い残したかったことを探りに行かなくては、このドキュメンタリーを終えることができないような衝動にも似た使命感が生まれていた。
コロナも収束しはじめた2022年4月、福岡市総合図書館へと向かった。『魔法使いのおじいさん』の試写用DVDをテレビで見せていただいたのだが、なんとも不思議な鑑賞体験となった。

『佐藤忠男、映画の旅』©GROUP GENDAI FILMS CO., LTD.
この映画のあらすじを簡単に説明すると。舞台は草ぶかい田舎の村で、友達や老婆を驚かしたり、動物や虫をいじめてみたりと、どこにでもいる男の子が主人公で、チンダンという名前だ。彼が暮らす村に「クンマーッティ」と呼ばれるちょっと怪しいおじいさんがやってきて、お面を売ったり歌を歌ったりして過ごしている。子どもたちは最初、このおじいさんを警戒していたけど、マジックを見せてもらったり、おかしをもらったり、一緒に歌ったりして段々仲良くなっていく。おじいさんはこの村を去る日、子どもたちに魔法をかけた。それは変身の術で、みんな犬やロバ、孔雀などに姿を変えて、もう一度おじいさんと踊ってから、元の姿に戻してもらった。ところが小さな犬になったチンダンは、普段いじめていた野犬に追われて、逃げ出してしまい、全然知らない別の町に迷い込み、病気になったりしながら、命からがら村に戻ってこれた。でも、おじいさんはいないので、犬のままで家族と過ごすことになった。1年後、おじいさんが再びやってきて、チンダンは人間の姿に戻れた。家に戻ってきたチンダンは飼っていたインコを空に放ってあげた。空に鳥が羽ばたき子供たちの歌声が響き、映画は終わる。
私はこの映画を見終わって、歌と踊りのリズムが何とも言えない楽しい感じで、ストーリはなんと素朴なんだ!と驚いた。これが、あの『東京物語』と肩を並べる、いやそれ以上の作品として、あの佐藤忠男さんが選んだのか、と。この映画は、ケーララ州の言語マラヤーラム語映画で、日本語字幕と英語字幕がついていた。ただ、字幕がなくても楽しく見ることができる、絵本のような映画という印象も受けた。そして子どものころ、おっかないと思っていた近所のおばあさんや、子どもだけが近づくちょっとあやしい人や、なんだかよくわからないまじないを信じる風習とか、妙に懐かしさを感じた。
佐藤さんはアラヴィンダンを「至純至高の映画詩人」と褒めたたえている。佐藤さんは「G.アラヴィンダン映画祭」のパンフレット、アジアフォーカス・福岡映画祭の第一回のカタログ、『アジア映画』などといった書籍の中で、アラヴィンダンについてたっぷり触れているが、実はそれらのどこにも「『魔法使いのおじいさん』が我が生涯の一本」とは明記していない。故にその理由も書いていない。ただ、彼がアラヴィンダン監督を発見した作品が『魔法使いのおじいさん』であること、その出会いを「わが映画人生で最高の出会いだ」ということは書いてある。佐藤さんの言いたいことは、すべて文章にされていると思っていたが、この作品に関しては少し書ききっていない印象をうけた。
その後も私は福岡市総合図書館の企画上映などで、『魔法使いのおじいさん』を何回か見ることができた。さらに、福岡市総合図書館に所蔵されているすべてのアラヴィンダン作品とほかのケーララ州の作家たちの作品も試写用DVDで見せていただいた。5日間で20~25本ほど鑑賞した。アラヴィンダンの作品は以下の通り。
制作年『邦題』(マラヤーラム語タイトルの英語表記/英語タイトル)
1979/80年『エスタッパン (Esthappan/Stephen)
1984~5/91年『子象ちゃん』(The Catch/Naming Ceremony)
これらアラヴィンダン作品を見て、『魔法使いのおじいさん』は彼の他のどの作品よりも、「ひとつの世界」として完結している印象を持った。ほかの作品は、見ている私たち観客が生きている世界とどこかつながっているような描き方や演出があるけど、この作品は一つの惑星の中で、青春と苦悩やとまどいといった人生が語られている。数え歌から発展させたという歌とリズムが全体を包んでいるのも心地よい。そこにはアジアの人間が、根底で親しめるような生活のリズムや言葉にならない対話といったものがあるような気がしている。
そうして、少しの手がかりを頼りに、インドケーララ州へゆき、関係者たちに話を聞きに行った。最後にたどり着いたのはロケ地だった小さな村だが、その様子はもちろん50年前とは大きく変わっていた。でも、変わっていないものも確かにあった。それは、出演していた子役たちの何とも言えない笑顔だった。映画撮影の話になると、彼らの表情が輝き、小鳥のように皆で語らい始める。私はマラヤーラム語は理解できないけれど、言葉がよどみなくあふれ出てくる彼らの様子をカメラの横で眺めながら、佐藤忠男さんとアラヴィンダンの心の奥底でつながっている、友情の原点のようなものを見つけた気がした。それは「無邪気」とか「純粋」という辞書に載っている言葉ではなくて、思い出とか匂いとか、そういった原始から人間が紡いできた記憶やDNAレベルでの共感だったのではないかと思っている。それを呼び起こしたのは、リズムと子どもの歌声、そして水や光に包まれた人間の営みなのかもしれない。
関連リンク
・福岡市総合図書館にて、5月4日(月)~5月30日(土)で『佐藤忠男、映画の旅』とアラヴィンダン作品8本を含む、全19作品の上映
※5月9日(土) には寺崎みずほ監督のトークショーあり
・アジアフォーカス・福岡映画祭カタログ※1991年の第1回より福岡国際映画祭のディレクターを務めた佐藤忠男氏が数多く寄稿
・アラヴィンダン特集 ~開館30周年記念・所蔵作品名品集~ – 川崎市市民ミュージアム(2018年9月実施)
すでに登録済みの方は こちら




