食目線で見るインド映画④ー『イドリ・カダイ』ー(アジアハンター小林)

インド食器・調理器具専門の輸入販売業を営むアジアハンター小林氏による連載記事「食目線で見るインド映画」お届けします。第4回は、ダヌシュ主演のタミル語映画『Idli Kadai〔イドリ・カダイ〕』をお届けします。
インド映画タイムズ 2026.08.29
誰でも

理想の一皿の正体

究極の一皿を追い求めて、インド全土を食べ歩く人たちが増えている。ネットや書籍、インド人からの口コミなどで店の在り処(ありか)を探し出し、ただそこで食べるためだけに鉄道やバスに乗る。店にたどり着くまでの苦労や旅情も加味されて、その一皿は忘れられないものとなる。

そんな食べ歩くわれわれが追い求める味を、提供する側はどう生み出しているのか。商売する上で、何に価値を置いているのか。そんなインド人にとっての理想の味や店づくりの条件を、まるでカタログのようにわかりやすく提示してくれるのが本作『イドリ・カダイ』(原題:Idli Kadai/2025年公開)である。食べ歩きをするわれわれは、この作品によってネット動画や書籍だけでは得られない、インドの飲食店のあるべき姿や食にまつわる理念の一端を理解することができる。

舞台となるのは店主の名〈シヴァネーサン〉にちなんで名づけられた、タミル・ナードゥ州の地方にある小さなイドリ・カダイ(イドリ屋)だ。ここで出されるイドリこそ、まさにわれわれが鉄道やバスを乗りついででもたどり着くべき理想の一皿である。では、その理想の正体とはいったい何だろう。

飲食店である以上、何よりもまず重視されるのは味である。その味を左右するのは何か。素材だろうと現代のわれわれは考える。確かに素材選びこそ味の要諦であるにちがいない。だが作中では、食材を選ぶシーンは描かれない。その理由は、おそらく次のような背景による。

イドリは米と皮を除去したウルンドゥ(和名:ケツルアズキ)を原料とする蒸しパンの一種だ。こうした料理の場合、米や豆本来の味わいに言及するタミル人はまずいない。なぜならイドリは加工食品だからである。米と豆を長時間浸水させ、潰してペーストにして発酵を経たのち蒸すため、素材本来の味まで感じることがない。日本でせんべいやおかきに使う米の銘柄を問わないのと同様である。一方、ミールスのように米をそのまま粒食する場合は、米そのものの味わいが重視される。

バナナの葉にのせられたイドリ

バナナの葉にのせられたイドリ

インドには今も公的配給制度が存在する。タミル・ナードゥ州でこの制度が整ったのが、深刻な食糧危機が全土を襲った1960年代。以降、無料または安価で米や小麦、食用油といった生活必需品が今にいたるまで提供され続けている。ただ配給される食材には品質にバラつきがあり、このため当初は食糧危機を補うはずだった配給米が、80年代から90年代になると次第に流用目的で転売されるようになる。その転売先が飲食業者だった。現代でこそ「イドリ・ライス」の名で製造・加工された専用米が安価に出回るようになったのと、転売行為への当局の監視が強化されたために減少したが、かつてイドリ屋が使っていたのはブローカーによって各家庭から安く買い集められた配給米だったと記憶するタミル人は少なくない。本作の舞台となるイドリ屋が開業したのも、おそらくその年代である。

調理器具に宿る理念

素材に言及がないのとは対照的に、調理工程とそこで使用する道具類の扱いは執拗なまでに丹念だ。その代表が、作中でも象徴的に描かれているアートッカルの使用である。アーットゥッカルとはイドリの生地である浸水させた米および豆をペーストにするための石製の原始的な臼である。

イドリ屋の息子・ムルガン(ダヌシュ)が当初、動かすのに苦労していたように、アートッカルは見るからに重そうな器具である。構造としては中央に円形の凹みのある台座と、太く重量のある石棒からなり、石棒の重みと摩擦で凹みに置かれた米や豆をペーストにする。作中では、これを2時間休むことなくまわして米・豆を潰してペーストにしている。

今やどんな老舗食堂に行こうが電動式のグラインダーが主流である。だがひと昔前までは、このようにイドリの生地は手で挽かれていた。かつてタミルの食堂では、未経験の新入りが最初に与えられる仕事がアートッカルまわしだったとも聞く。作中でもムルガンが父に電動式のグラインダーの導入をすすめるシーンがある。日々の過酷な重労働を慮ってのことだが、でき上がった生地をひと口味見した父は首を横にふる。昔ながらのやり方が肯定されがちなインドだが、ここではたとえ素材が何であれ「正しい」手順をふむことで料理は美味くなる、というインド人の思考方法がかいま見られるシーンである。

現代インドでもはや目にすることがなくなったこのアートッカル作業の描写は、食目線でインド映画を見るわれわれにとっても貴重である。タミル・ナードゥ州の古い家に行くと、今では使わなくなったアートッカルが軒先にあることがあるが、それを実際に動かしている姿を目にする機会などまずないからだ。

タミル・ナードゥ州の古い家の軒先にあったアートッカル(の台座の部分)

タミル・ナードゥ州の古い家の軒先にあったアートッカル(の台座の部分)

このアートッカルの使用に象徴される「正しさ」こそが、作品全編に通底するモチーフである。最新式の電動器具より昔ながらの手動器具、ガスの火よりもかまどに薪火。食材や作り手の技量はもちろんだが、それ以上に「どんな調理環境か」が重要で、「不便ではあるが、心のこもった温かい手作業」に最大の価値を見出す。これは前回紹介した『グレート・インディアン・キッチン』で否定的に描かれた、インド社会を覆う美徳でもある。

理想的な店舗像もまたそうした価値観に基づく。エアコン(しばしばA/Cと略称される)つきであることや、タイル地の明るい壁、大理石のテーブル、スタッフが着用するロゴ入りの制服などは、集客効果はあっても必須条件ではない。それよりも神棚に日々燈明が捧げられ、石臼やボイラーといった調理器具にはシヴァ神を象徴するティルニール(燃焼した乾燥牛糞の灰でつける)三本線がつけられる。そうした敬虔さの演出の方が、実際に集客には効果的なのである。

作中にはこんな描写もある。手洗い場の脇の壁に設えられた、外部に向けた開口部。食べ終えたあとのバナナの葉は客自らがそこから外に捨て、通りがかる牛の餌となる。作り手の職人は客の食べ残しの処理までしない。これもまた店としては「正しい」ありかたで、たとえばタミル・ナードゥ州ティルチラーパッリのような古い寺前町に行くと今もこのスタイルが見られる。

ティルチラーパッリにある古い食堂

ティルチラーパッリにある古い食堂

店内にある木製のテーブルは向い合わせに配置されている。真ん中は店の人がサーブするためのスペースである。近年はファミリー単位での外食が増え、家族で卓を囲めるように個別のダイニングテーブルを置く飲食店が増えたが、かつて外食に出るのは単身の男性客が大半で、そのためこのようなスタイルが標準だったのだ。これも老舗食堂では今も現役の配置スタイルである。

向い合わせに配置されたテーブルを置くタミル・ナードゥ州の食堂

向い合わせに配置されたテーブルを置くタミル・ナードゥ州の食堂

インド料理の序列

真面目な運営で村人たちの信頼を得ているシヴァネーサンのイドリ屋。そんな彼に激しいライバル意識を燃やすのが、はす向かいにあるパロッタ屋だ。この描き方にもタミル人の食に対する意識が投影されている。

パロッタはまず材料にマイダー(精製小麦粉)を使う。だが、タミルでは小麦粉を使った食べ物は身体に好ましくないとされている。焼き上げ時にたっぷりと使う油も同様である。ただ外食料理は健康的かどうか「だけ」が価値を左右するものではない。たとえば日本でも「背徳の味」などと評される脂っこいラーメンが人気を博すのと同様だ。

そんなパロッタに比べてイドリは、油も小麦も使わないという点で「正しい」料理である、と認識されている。もちろん、全インド人にとっての正しい料理の頂点には母の作る家庭料理がある。しかし外食料理をこの基準にあてはめた場合、明らかにパロッタに比べてイドリは「正しい」食べ物なのだ。そんなインド料理の序列を、映画ではムルガンの父を善玉、パロッタ屋を悪玉にすることでわかりやすく示している。

タミル・ナードゥ州のパロッタ屋

タミル・ナードゥ州のパロッタ屋

店の継承問題

教条主義的なシーンはまだある。たとえば息子ムルガンは地方のカレッジで飲食サービスを学んだあとマドラス(現チェンナイ)へ。そこでしばらく苦労しながら人脈を築き、ようやくタイのバンコクを拠点とする大手食品企業に就職。さらにその社長令嬢と婚約するところまで出世する。しかし結婚式の日取りも決めたムルガンのもとに届いたのは、父シヴァネーサンの訃報だった。

急ぎ飛行機の手配をして故郷に戻ったものの、親の死に目に会えなかったムルガンに向けられた村人たちの目は厳しい。老親を残して海外で働くことへのやましさ。これは昨今増加する、日本を含む海外で働くタミル人にとっても切実な場面だろう。父との思い出のつまったイドリ屋。その相続・継承を通じて、現代のタミル人が直面する諸問題が浮き彫りにされる。一時はライバルのパロッタ屋に権利を譲ろうとしたムルガン。しかし直前でその考えを改める。

かつて故郷にいたころ、ムルガンは父に対してフランチャイズ化をすすめたことがある。だが、父の答えはノーだった。店には父の名が冠されている。赤の他人が作ったイドリを出すのなら、店名から自分の名を外せというのだ。経済成長とともに海外をふくめて派手に多店舗展開しがちな現代インドの飲食業界。しかし本当にタミル人にとって真に理想なのは支店を増やさず、創業一族が単騎店のみで味を継承するスタイルであることがよくわかる。実際、「ノー・ブランチ(支店なし)」をうたい文句にしている飲食店はインドには少なくない。

味や見た目といった表層の奥にある精神性や理念。タミル人たちがその一皿に何を求め、どんな店の形を理想とするのか。インドを食べ歩くわれわれに、本作はそれをわかりやすく教示してくれる。

食べられるお店

作中でも紹介されている通り、生地の発酵を必要とするイドリを常備している店は日本では少ない。だから名店として知られる世田谷区祖師谷大蔵のスリマンガラムA/Cでもメニューには載っていない。だがそこはさすがタミル料理愛の強い店主マハリンガムさん。事前に予約さえすれば美味しいイドリを食べさせてくれる。イドリはもちろん、付け合わせのサンバルやチャトニーの味もいい。サーブの仕方も実にタミル的である。

スリマンガラムA/Cのイドリ

スリマンガラムA/Cのイドリ

スリマンガラムA/Cの店主マハリンガムさん

スリマンガラムA/Cの店主マハリンガムさん

著者プロフィール/アジアハンター小林

インド食器・調理器具専門の輸入販売業者。並行してインドの食文化についての執筆活動も行う。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』『食べ歩くインド』『インドの台所』『深遠なるインドの料理の世界』など多数。8月17日より監修を担当した『一度ハマると抜け出せない インド料理の歩き方』が発売中。

※本文中の写真は全て小林氏撮影&提供

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