食目線で見るインド映画③ー『グレート・インディアン・キッチン』ー(アジアハンター小林)

インド食器・調理器具専門の輸入販売業を営むアジアハンター小林氏による連載記事「食目線で見るインド映画」お届けします。第3回は、コロナ禍のインドで配信公開され、クチコミで話題になり、日本でも劇場公開された『グレート・インディアン・キッチン』を食目線から読み解きます。
インド映画タイムズ 2026.07.25
誰でも

インド人の家庭料理観

「あなたにとって最も美味しいと思う料理とは?」

出身地や宗教、年齢・性別問わず、どこのどんなインド人でもいい。身近なインド人に聞いてみてほしい。相手はほぼ例外なくこう答えるはずである。

「お母さんの料理です」と。

この母の味、つまり家庭料理を至上だとするインド人の意識は、もはや信仰の域にまで達しているといっても過言ではない。今回取り上げるのは、そんなインド人の信仰に深くメスを入れ、あるべき「良妻賢母」像に一石を投じた問題作『グレート・インディアン・キッチン』(原題:The Great Indian Kitchen/2021年公開)である。まずはふんだんに登場する料理シーンから見ていこう。

主人公の二人の見合いのシーンから映画ははじまる(あえて役名はない)。新郎(スラージ・ヴェニャーラムード)となる側が新婦(ニミシャ・サジャヤン)の家を訪ねる。もてなしのためにテーブルいっぱいに並べられたのはカヤ・バッジ(青バナナのフライ)、ウニ・アッパム(米粉のパンケーキ)、アチャッパム(米粉の揚げ菓子)など7~8品の軽食とブラック・ハルワー(アラビア発祥の菓子。中世以降、イスラム勢力の拡大と共に中央アジアや南アジア各国に伝播。インド国内には同じ名でさまざまな形状・原料のものがあるが、ケーララのそれは小麦や米などの穀物粉を原料にした半固形状のものが知られる)。このうちハルワー以外はすべて手作りされている。ただ料理はあくまでも形式的なものであり、集まった人たちはほとんど手をつけない。客前に出す料理は残されることを前提に過剰に出す。これがインドにおけるもてなし方の根底にある理念である。

ケーララのウニ・アッパム

ケーララのウニ・アッパム

この見合いのシーンで、新妻側の家族が長らくバーレーンのマナーマで働いていたことがわかる。バーレーンやUAE、カタールなどの中東湾岸諸国で働くケーララ州出身者は多い。かつては単純労働が多かったが、現在では技術者や医療従事者など高度人材も増えている。その総数は170万人〜180万人。ケーララ州の労働人口のおよそ10人に1人が中東で働いている計算になる。本作は、そんな中東帰りの人々の地元社会との軋轢や生きづらさも描いている。

二人の結婚式では、着飾った新郎新婦にパラム・パーヤサム(バナナとミルクで作った菓子)を親族たちが手ずから食べさせるシーンがある。これはマドゥラムヴェップ(Madhuramveppu)と呼ばれる、甘いものを食べさせるケーララの婚礼儀式のひとつ。祝宴の場において菓子が重要な役割を果たしていることがわかるシーンである。

場面は嫁いだ先の旧家の台所へ。あわただしい朝食づくりがはじまっている。義母が大量のココナッツをチラヴァ(chirava/削り器)で削り、それをよく使いこんだアンミッカッル(Ammi Kallu/石臼)で挽きはじめる。ココナッツ・チャトニー(つけダレ)を作っているのだ。

アンミッカッルとは長方形の土台の上でローラーを前後にこすり合わせ、その摩擦によってココナッツやマサーラーをペースト状にする、日々の調理に欠かせない石の道具である。材質は主に花崗岩で、見た目はずいぶんと原始的だが、ケーララの古い家庭の台所にはたいてい備えつけられている。電気式ミキサーだと加工時に熱を持つため素材の本来の味が損なわれる。だから手で挽く道具の方が理にかなっているのだと、食通を自認するケーララ人(マラヤーリ)は口をそろえる。

家庭内のアンミッカッル

家庭内のアンミッカッル

ある日、夫婦二人は夫の同僚宅に食事に招かれた。食卓にはビーフを具材にしたカッパ(ふかしたキャッサバイモ。ケーララ特有の食べ方)のビリヤニが出される。ケーララではたとえ彼らのようなヒンドゥー教徒であってもビーフを食べるのである。

それだけ見ると進歩的に思えるケーララ人の食意識だが、ビーフの調理は離れにある台所で行われる。つまり食べるのは宅内であっても、生肉をカットし、生の状態から食べられる状態にするのは家の外なのである。家の中に「不浄」なものを持ち込まない、というのはインドに広く共通する観念である。そのカッパ・ビーフ・ビリヤニを、同僚の妻はサーブするだけで決して客人らと同席しようとしない。これもまたあるべきインドの女性像に従っている。男性がホスト役、女性がサーブ役という分担は、いまもインド人宅に招かれると見られる。

街なかで売られるカッパ(キャッサバイモ)

街なかで売られるカッパ(キャッサバイモ)

嫁いだ旧家には隠居の義父がいた。日々の食事は義母が中心となって作っているが、身重の娘の手伝いにしばらく家を空けなければならなくなった。一人残された嫁に、家事一切が重くのしかかる。嫁の作った朝食を一口食べて手を止める義父。

「チャトニは手で挽いた?」

チャトニー作りに、嫁は電気式ミキサーを使ったのだ。バーレーン育ちの嫁にとってアンミッカッルは無縁の調理器具である。

調理器具に対する価値観の相違は別のシーンでも描かれる。

「クルワ米の炊き方は?」

携帯で実家の母に聞く嫁。米を炊くための圧力鍋の使い方すらよく知らないのだ。料理を食べ終えた義父は、諭すように嫁に一言。

「釜で炊くんだ」

翌日から、米を炊くためのカラム(Kalam/壺状の鍋)が台所の〈かまど(=アドップ/Aduppu)〉にかけられる。

アドゥップと呼ばれるケーララのかまど

アドゥップと呼ばれるケーララのかまど

薪火を使った〈かまど〉での煮炊きはインド人の琴線にふれる調理法である。日本人にたとえると、囲炉裏にかけた鍋料理に相当するだろうか。都市部を中心に失われつつある台所の〈かまど〉だが、ケーララの地方に行けばガス調理器具と共存し、アンミッカッル同様いまも残っているところが少なくない。ただ薪火は火起こしや強弱の調節が難しく、劇中でも嫁が悪戦苦闘する様子が描かれる。なお、ここで食べられているのはクルワ(Kuruva)ライスという粒の大きなケーララ特有の米である。

これらの手作業への盲目的な信頼は、何も料理に限った話ではない。ある日、洗濯機を回している嫁に義父がいう。

「洗濯機で洗うと服が早く傷む」「私のは手洗いで」

義父は何も嫁いびりをしているわけではない。昔から家の女たちがそうしてきた、当たり前のことを経験の浅い嫁に教えてあげているだけなのだ。息子のためにも、嫁には我が家の「古き良き伝統」を身につけてほしいという純粋な親心なのである。

インド人の食べ残しかた

劇中、調理以上に長く執拗に描かれるのが、食べ終えたあとのテーブルや台所であと片付けするシーンである。

ある朝、義父と出勤前の夫は朝食を同じテーブルで摂っている。嫁があわただしく、時にやけどしそうになりながら作ったドーサとサンバル(付け合せの汁物)、トーラン(刻み野菜の炒め煮)をゆっくりと食べたのち、なにも言わず立ち去る。あとに残るのは、皿とその内外に置かれた無数の食べかすだ。

きれいに盛り付けられたインド料理の完成図やレシピはネット上に無限に存在する。しかしインド人が何をどう食べ、どう残すのか。肉や野菜から生じる骨やスジ、種などの食べかすをどこにどう置き、女たちがどう処理するのかといったことを、われわれは知ることはない。つまり本作は「インド人の食べ残しかた」や「生ゴミの捨てかた」といった、食目線で映画を見るものにとって得難い情報であふれているといえる。

たとえば劇中にも登場するが、サンバルやアヴィヤル(ココナッツをきかせた野菜炒め煮)に欠かせないモリンガ(ドラムスティック)という野菜は固い外皮に覆われている。通常は歯でしごくようにして内側の果肉だけを口中に残し、外皮は残す。ではこの残った外皮をどこに置くのが正解か。テーブルの上か皿の内側か。これは人によって答えが変わるので、ぜひ周りのインド人に聞いてみてほしい。

男たちは食べ終えた残骸をテーブルの上に無造作に置く。だが別の日、夫婦二人だけで訪れたレストランのシーンでは、夫は食べ終えたチキンの骨をテーブルに置くことはせず、店が用意したガラ入れに入れる。インド人のもつ、ウチとソトとの二面性がよくわかるシーンである。

ある日嫁の生理がはじまる。この間、女性は「不浄なもの」として部屋に隔離され、一切の家事に触れられないのは、地域や宗教を問わずいまも広くインド亜大陸で見られる悪習である。では隔離期間中、誰が家事をするのか。それでも男たちが家事をすることはない。近くに住む親族の女性が呼ばれるのである。

最初は夫の妹がやってくる。勝手知ったる生まれ育った家を、妹は嫁に代わって掃除・洗濯し食事の準備をする。しきたりを知らない嫁に対し妹は多分に同情的だ。だが次の生理の時にやってきた義父の妹は違った。嫁を暗い部屋に閉じ込め、厳しくしつけようとする。インド社会で女性の自立を阻み、家父長制を固守するのはなにも男だけではない。女の敵は女でもあるのだ。

そして物語はクライマックスへ。シャバリマラ巡礼を前に、男たちは司祭を呼んで斎戒沐浴をはじめる。暗い台所で片付け仕事をする嫁の背後で流れてくるのは、いつ果てるとも知れない聖なるマントラの読経だ。聖地シャバリマラは長年、月経年齢の女性の入山を禁じてきた。不浄だからである。浄なる男性と不浄なる女性、ウチとソト。女を苦しめるミソジニーの根源とは何なのか。そして嫁はついに、ある行動に出る。

サバリマラへの巡礼者たち

サバリマラへの巡礼者たち

本作に通底するのは、外国育ちの新妻の目を通じて見た、インド社会が理想とする「良妻賢母」像のいびつさである。そしてこの問題は、われわれ自身にも鋭く突き刺さる。家庭料理こそ本物だと刷り込まれ、手ばなしで賛美するインド料理ファンは自分も含めて多い。だが食べ終えたその皿を、誰がどんなふうに洗い、残骸がどう処理されているかにまで思いをはせる人はいるだろうか。この作品は、普段は可視化されない作業に光を当てることで、もう一つのインド家庭料理像をわれわれに提示してくれる。

食べられるお店

国内には最近、本格的なケーララ料理を出す店が増えてきた。なかでも個人的にオススメなのが、本作にも登場するサンバルやトーレンをのせたミールスや、ドーサなどの軽食類が丁寧で美味しいケララキッチン川崎ラチッタデッラ店だ。大きな窓と白を基調とした清潔感あふれる店内で迎えてくれるオーナーのクリシュナンさんはケーララ食文化に造詣が深く、通常メニューの日常的なケーララ料理のほか、毎年夏には地元の大祭・オーナムにちなんだサッディヤ(「特別なご馳走」の意味)などのイベントも開催している。

オーナム・イベントでのクリシュナンさん

オーナム・イベントでのクリシュナンさん

オーナム・サッディヤ

オーナム・サッディヤ

店のメニューの一部

店のメニューの一部

著者プロフィール/アジアハンター小林

インド食器・調理器具専門の輸入販売業者。並行してインドの食文化についての執筆活動も行う。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』『食べ歩くインド』『インドの台所』『深遠なるインドの料理の世界』など多数。

村山和之との共著『チャイの本』が現在予約受付中。

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