【1万字インタビュー】推し活配給のその先へ――『響け!情熱のムリダンガム』を3年以上ロングラン上映して、稲垣紀子さんが見たもの
南インド料理店「なんどり」の稲垣紀子さんが、自ら配給に乗り出した映画『響け!情熱のムリダンガム』。
東京国際映画祭で出会ったその一本を、「どうしても日本のスクリーンで観られるようにしたい」。その思いから自ら配給会社を立ち上げ、届けはじめてから3年以上が経った。
『響け!情熱のムリダンガム』は現在、ラストランへ向かっている。各地の映画館をめぐり、観客と出会いながら、ロングランでの映画上映を実現してきた稲垣さんは、その時間のなかで何を見てきたのか。
そして今、稲垣さんは同じラージーヴ・メーナン監督の2作目『みつけた、みつけた〜分別と多感』の上映にも取り組んでいる。ひとつの映画を届け続けた先に、次の一本はどうつながっているのか。今回この数年の出来事を改めて振り返ってもらった(2026.6.17インタビュー)。

稲垣紀子さん

南インド料理店「なんどり」にて (左)稲垣紀子さん (右)稲垣富久さん
『響け!情熱のムリダンガム』との出会い
――『響け!情熱のムリダンガム』(以下、『ムリダンガム』)は、もうラストランに向かっている時期ですよね。あらためて、初めてこの映画と出会ったときのことから聞かせてください。最初から「いつか自分で配給したい」と思っていたんですか。
いえ、最初は本当に観客の一人として観ただけなんです。東京国際映画祭で、「TOHOシネマズ 六本木ヒルズ」の大きなスクリーンで観ました。客席も満員で、上映後には大きな拍手も起きていて、大盛り上がりだったんです。私もすごく感動して、もう一度スクリーンで観たいと思いました。
ラージーヴ・メーナン監督夫妻も来日されていて、監督も「日本で公開したい」と挨拶し喝采を受けていて、これは当然どこかの配給会社が買って、また日本のスクリーンで観られる日が来ると思っていました。
――でも、実際にはなかなか日本公開が決まらなかった。
そうなんです。映画祭ではたくさん作品が上映されますけど、そのまま配給につながらない作品も多いですよね。『ムリダンガム』も、「あれだけ反応がよかったのに公開されないままなの?」とヤキモキしながら動向を見守っていたんです。もう一度、日本のスクリーンで観たくて…。
――たくさんの映画祭上映作品の中で、どうして『ムリダンガム』に出会ったのでしょうか。東京国際映画祭でたまたま観たんですか?
いえ。その年は最初から『ムリダンガム』を目当てに東京国際映画祭に観に行きました。
理由は、タミル映画だったことと、A.R.ラフマーンの音楽だったことが大きかったです。当時は育児中の子どもがまだ小さくて、映画祭で何本も観る余裕がない中で選んだ作品でした。観たら想像以上に本当に素晴らしい作品で、「これは映画祭だけでなく日本で観られるようになってほしい」と思いました。
――稲垣さんは、この映画を「推し活映画」と表現されていますよね。
そうですね。主人公ピーターは、映画スターのファンで、「推し」を追いかけている青年です。主人公自体が「推し活」をしているんですよね。
その中でムリダンガムと出会い、自分の道を見つけて自分の人生を走り出していく。その衝動みたいなものが、自分自身の推し活とも重なったんだと思います。
私も昔から好きな音楽を追いかけたり、ずっとオタクを続けてきましたから。主人公に共感しちゃったんですね。
実は、以前はポール・マッカートニーの追っかけをしていて、サインを貰ったこともあったんですよ(笑)。
――稲垣さん自身も音楽や映画のオタクをしているから、より深く主人公に共感したと。
そうですね。私がこの映画を好きな理由の一つが、「オタクが報われる映画だから」です。
よくあるオタクを主人公にした物語では、最終的に「オタク趣味を卒業して自分の道に進む」ストーリーを想像するじゃないですか。でも、『ムリダンガム』では主人公はオタクのままなんです。オタクのまま、自分の人生や自分の道を切り開いていく。そこに救われた感じがしました。
東京国際映画祭であれだけ大きな歓声があったのも、客席にいた人たちが映画祭にわざわざ来るほどの映画好き、つまり映画や何かのオタクだったからじゃないかなと思うんです。だから、オタクが報われる映画として、みんな救われた気持ちになったんじゃないでしょうか。

ラジニカーントやヴィジャイをはじめ、店内にも“推し”の片鱗が散りばめられている
DVD字幕から劇場公開へ
――劇場公開の前に、海外版の『ムリダンガム』DVDに日本語字幕をつけていたんですよね。
はい。最初にこの作品に携わったのは、海外製のDVDが発売されたのを輸入する際に、相手業者の方から「日本語字幕をつけたい」と相談があって、機械翻訳の日本語字幕よりは少しでも見やすい字幕になった方がいいと思い、お手伝いをしました。
――配給より先に、DVDが発売されてたんですね。
そうです。日本公開が全然決まらない中で、海外製でもDVDが出るならば日本の人にとにかく観てもらえると思いました。そこで日本上映希望の口コミが広がれば、もしかすると配給会社も注目してくれるのではないかと。なので、友人でインドに音楽留学の経験のある小尾淳さんにもインド古典音楽に関係する部分を中心に手伝っていただいて、日本語字幕を作りました。
ちょうどコロナ禍の発売となり、日本で配信で観ることもできなかったのもあるのか、このDVDは結構売れたんです。それから映画を観た人たちがSNSで感想を書いてくれて、すごく嬉しかったですね。同時に、それを見て「やっぱりこの映画には届く力があるんだ!」と感じました。
――このとき作ったDVDの字幕は、のちの劇場版の字幕としても使用されたんでしょうか。
いえ、のちに劇場で公開するときは、劇場版用の字幕にするためにかなり修正しました。
DVDは仮に字幕が長めであっても、一時停止して読むことができますし、輸入盤DVDはある意味マニアが買って観るもので、あくまでもおまけの日本語字幕なので、文字が「画面に収まればいいかな」くらいの塩梅でやってもいいかもしれません。一方で劇場で観る字幕は停止できずどんどん流れていくものなので、字幕ルールに従い1秒4文字とか、常用漢字を使うとか、日本人に瞬時にわかるようにローカライズするなど、読みやすさをかなり考えないといけないですね。
――ただ訳せばいい、というものではないんですね。
はい。映画字幕として見やすくする技術が必要です。今回好きな映画を自分で訳した形にはなりましたが、プロの字幕翻訳者の方々を心から尊敬しています。
――DVDの反応から、やっぱり劇場で観たいなという気持ちが強まっていったんですね。
そうですね。コロナ禍で世界中がロックダウンで映画館も休業しているような時期でしたが、Zoom上で『ムリダンガム』のオンラインイベントを開いたんです。インド古典音楽に詳しい方や、映画に関心のある方たちとつながって、作品の魅力を語る場になりました。すると、そのイベントのことがラージーヴ・メーナン監督にも伝わって、監督も参加して挨拶してくださったんです。おかげでとても盛り上がりました。
そこで、イベント後にメッセージアプリのWhatsAppでお礼を伝えて、その流れで「日本で上映するにはどうしたらいいですか」と聞いてみたんです。そうしたら、インド国外での権利を扱う会社につないでくれました。
――それはすごいですね。英語での交渉ですよね。大変ではなかったですか。
英語は得意ではないので、Google翻訳をかなり使いました。メールでのやり取りだったから、何とか進められたんだと思います。口頭で交渉しなければいけなかったら、難しかったでしょうね。

© Mindscreen Cinema
※現在では、稲垣さんの会社が手掛けた、正規の国内盤ディスクが発売中。
個人で映画を届ける現実

――個人で映画の権利を買うというのは、かなり大きな決断だったと思います。
そうですね。そもそも当時は配給に関する知識なんて全くない状態ですから、権利会社が個人に売ってくれるとは思っていませんでした。
でも、意外にも前向きな返事が来たんです。コロナ禍だったこともあって、通常より買い手に有利な条件だったのかもしれません。
輸入版DVDの発売が2020年3月頃で、トークイベントが10月。年末には、もう具体的な契約交渉という段階まで来ていました。
――本当に展開が早いですね。
早すぎて困ったので、「会社を設立するから待ってください」と言って、1~2か月待ってもらったくらいです。
――会社を設立することに抵抗はなかったのでしょうか。
以前、司法書士業界にいたので、法人の登記にはある程度知識がありました。ただ、株式会社なら資本金が1000万円必要だった時代のことです。
その後、制度が変わって一人でも、資本金1円でも会社が作れるように。新設された「合同会社」に関心があったので、ミニマムに設立してみることにしました。
――実際に配給を始めるとき、誰かに相談はされたんですか。
配給の権利を買うか買わないかという話になってから、実は自分にはいろいろ「つながり」があったんだなと気づきました。
行きつけの近所のカフェの人が、実は以前映画配給会社で働いていて契約書担当もしていた方で、契約書の内容や日本語タイトルの付け方などを相談することができました。
また、「なんどり」ではインド映画の日本公開作のチラシを配ったり、ポスターを貼ったりしていたんです。配給会社さんや映画館の方の中には、せっかくだからと食事に来てくださった方々もいたんです。
そのおかげで権利を買った後に、シアター・イメージフォーラムさんに相談してみたところ、「映画配給会社を通さなくても劇場上映はできる」、むしろ「権利を買って配給会社を通して劇場上映するとお金もかかるし、あなたが熱い思いを持って買ったのに、配給会社が入った途端にその思いが通じなくなることもありえますよ」とアドバイスをいただきました。
――インド映画には、そういう「個人の思い」に支えられている部分がある気がします。インド映画をはじめ、多数の映画を自主上映していたイスラーム映画祭の藤本高之さんも似たような取り組みをされていた印象です。
藤本さんにも「イスラーム映画祭」のチラシをなんどりで配布していたご縁もあり、相談に乗っていただきました。
――それで「自分でやってみよう」と決めたんですね。
対外的には「この映画をどうしてもみんなに見せたかった」と言われますけど、正直、自分がスクリーンで見たかったんです。もぐりでこっそり大きいスクリーンに映すのではなく、正々堂々と大きなスクリーンで見たかった。
でも正式に大きなスクリーンで観るには、人を巻き込まないといけません。最低限、数百人くらいは見てほしいとは思って買いました。でも、1万人を目指していたわけではありません。
それが今では2万人目前ということで、大変驚いています。
――今の時代だから個人配給が可能になった、という面もありますか。
それはありますね。昔は映画館ごとにフィルムを用意しなければならなかったので、その制作費だけでも莫大でした。たくさんの映画館で同時に上映するのは大変だったんです。
だから、ある映画館での上映が終わったら、次の映画館へフィルムを移動させる。いわゆる「ロードショー」のように、順番に上映していく形ですね。
でも今は、DCPというデータ形式で上映できるので、ハードディスクにコピーするような形で小規模に展開できます。そういう意味では、個人でも映画を届けやすい時代になったと思います。
――とはいえ、費用は先に出ていきますよね。
そうなんです。チラシ、ポスター、DCP、宣伝など、公開前にお金は出ていきます。でも映画館からの入金はチケットが売れても、その劇場での上映が終了してから数ヶ月後からです。配給を個人でやる場合、資金繰りは現実的な問題ですね。
「ご縁マーケティング」で広がった上映館

店内には多数のインド関連書籍が並んでいる。”ご縁”のお陰で、弊社が手掛けた『RRRをめぐる対話』も。
――上映館はどうやって広げていったんですか。個人で配給するとなると、普通に営業をかければ広がっていくというものでもなさそうですよね。
もともとうちの店(南インド料理店「なんどり」)でインド映画のチラシを配っていたことや、映画館の方と少しずつ知り合っていたことが大きかったです。店に来た人との会話から上映につながることもありました。自分では「ご縁マーケティング」と呼んでいたりします。
もちろん、映画館にメールを送ったりもしました。でも、送ればすぐ返事が来るというものではありません。
映画館側も上映作品をたくさん抱えていますし、上映を検討してもらうための試写をしてもらうにもそれを待つ作品の順番待ちがあります。東京でどのくらいお客さんが入ったかを見られることもあります。実績がない自分たちにはハードルは高いです。
だから、自分が直接売り込んだから広がったというより、観客の方が劇場に上映リクエストを送ってくれたり、SNSで感想を書いてくれたりしたことが後押しになったところは大きいです。
中でも「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」は、店から一番近い映画館で、インド映画を上映する時にコラボしたこともありました。チラシを配ったり、トークショーの聞き役としてボランティアで行ったりしていました。
そうした“ご縁”が以前からあって、『ムリダンガム』は「稲垣さんがそこまで言うならきっと面白いんでしょう」と、作品も見ないで上映を決めてくれました。そういう意味では、それまでの店や人との関係が上映につながっていったんだと思います。
――実際に地方各地のミニシアターを回ったりもしていたんですよね。
そうです。いろんな映画館で舞台挨拶をさせていただきました。上映後に「なぜインド料理店なのにこの映画を配給したのか」「パンフレットや字幕で何を大事にしたのか」といったことをお話して回りました。
いつも「どこの誰ともわからない個人配給の映画を受けてくれる映画館って、ありがたいなあ。いったいどういう所なんだろう」と思って伺うんですけども、それぞれに歴史があって個性的で、すごく楽しかったです。
こちらは作品を持って行く側なんですけど、行ってみると、その土地の人がいて、その映画館を守っている人がいて、そこに来るお客さんがいる。映画館って、ただスクリーンがある場所ではなくて、その地域の人たちが時間を重ねてきた場所なんだなと思いました。「大人の社会科見学」みたいな面白さがありましたね。
――すごく楽しそうですね。
はい。一度は行ってみてほしい場所ばかりです。途中から、映画館で映画を観るのをメインにした「シネマツーリズム」も提唱するようになりました。
例えば、逗子の「シネマアミーゴ」。小さなスクリーンなんですけど、音が良くて、海の近くにある映画館なんです。
映画を観たあとに海へ行くと、波の音も風の音もリズムに聞こえてくる。観客の方がその体験をSNSに書いてくれて、それを見た人がまた映画館へ足を運んでくれました。
世界はリズムであふれていると感じられる映画の内容が、逗子という場所とすごく合っていたんだと思います。
――配給者自身が舞台挨拶で話すことにも意味がありそうです。
あると思います。大きな配給会社の場合、配給担当者が前に出て話す機会はあまりないかもしれません。
でも、私のような小規模の配給会社であれば、すべてを自分で決めて動かしてきた当事者として、「なぜこの映画を配給したのか」「映画のどこが素晴らしいと思ったのか」「パンフレット作成の何が大変だったのか」といったことを、自分の言葉で語ることができます。
それだけでも、映画を観てくださる方の受け止め方はけっこう変わるんじゃないかなと思います。
――その他にも、『ムリダンガム』の広がりを感じた瞬間はありますか。
NHKの「あさイチ」で突然『ムリダンガム』が取り上げられたこともありました。そういうメディアの力で、ご縁とは関係なく上映が決まったところもあります。
――番組を見た映画館から「うちでも上映させてください」と来たのですか。
「あさイチ」で見たお客さんが映画館に問い合わせて、それで映画館から問い合わせが来た、という形です。やっぱり観客の皆さんが動いてくれたんです。
――一方で、最初の東京公開のときは、必ずしも順調なことばかりではなかったんですよね。
初回が満員だったので、本当に夢のようでした。ただ、その後ずっと満員だったわけではありません。
最初はシアター・イメージフォーラムから始まったんですが、最初の2週間は悪くなかったものの、その後は客足が落ちました。
『ムリダンガム』の3週間後くらいにちょうど『RRR』が公開されたんです。
来日フィーバーもありましたからインド映画ファンの関心が一気にそちらへ向かった感じもあって……。だから厳しかったですが、何カ月も経って『RRR』がアカデミー賞受賞とともに大きく広がった頃に、既存のインド映画ファン以外にも新しく増えたインド映画ファンたちが「他のインド映画も観たい」と、『ムリダンガム』も観に来てくれて広がってくれた感じがします。細々とでも上映が長く続いていたことが功を奏しました。
もし『ムリダンガム』が「一気に全国公開」という形で配給されていたら、本当にごく短期間で終わっていたかもしれません。昔のフィルム時代のように、少しずつ映画館を回っていったことが、結果的にロングランにつながったんだと思います。
観客が会いに行ける配給

――稲垣さん自身も、映画で人生が変わった経験があるんですよね。
はい。失業して、人に会うのも嫌になって、引きこもるような時期がありました。
そのときに『ムトゥ 踊るマハラジャ』を観たんです。平日の昼間にこっそり一人で観に行ったら、ものすごく楽しくて、ラジニカーントの笑顔に救われました。
映画を観たあと、「映画をまた映画館で観たい。そのためにはお金が必要。じゃあ再就職しなきゃ」と社会復帰できました。大げさではなく、映画に救われた経験があるんです。
――だから『ムリダンガム』も、誰かの人生を変えるかもしれないと思えたんですか。
そうですね。実際に「ムリダンガムで人生が変わりました」と言ってくれる人が何人も出てきました。映画を観てムリダンガムという楽器を始めた人、学生時代のドラムの夢を思い出して再び演奏を始めた人、インドに行くようになった人、古典音楽のコンサートに行くようになった人など、いろんな報告をいただきました。
――それを直接伝えに来てくれる人もいるんですね。
舞台挨拶後だったり、店に来て言ってくれる人もいます。SNSだけではなく、直接「変わりました」と言いに来てくれる。店があるから、観客が配給者に会いに来られるんですよね。
――「会いに行ける配給」ですね。インド料理店をやっていたことが、映画配給にもつながっているんですね。
店をやっていることはとても大きいです。店でチラシを配っていたことから映画館とつながったり、店に来た人と会話する中で関係が生まれたりしました。
たとえば山田桂子先生や松沢靖さんとの出会いも店ででした。
そうしたご縁から山田先生にはその後パンフレットの寄稿や一緒にトークに登壇をしていただいたりしました。
松沢さんには、配給に当たって色々迷っている時に背中を押していただく言葉をかけていただきました。配給にあたって、『響け!情熱のムリダンガム』という邦題をつけたときも、その後押しは大きかったですね。
――確かに「ムリダンガム」という単語も、知らない方が多いですよね。
はい。「ムリダンガムなんて言葉、知らないよ」と言われることもありました。でも私は、インド映画だと一発でわかるタイトルにしたかった。この映画の主題であるムリダンガムという楽器名を使いたかったんです。
――実際、今はムリダンガムといえば映画を思い浮かべる人も増えていますね。
そうですね。Google検索でも「ムリダンガム」のワードで映画のことが上位に出るようになりました。映画祭の時点では『世界はリズムで満ちている』というタイトルだったので、なんでタイトルを変えたんですかとよく言われました。でもこの映画の公開から一年後には、ムリダンガムという楽器を知っている人が増えている。あるいは、ムリダンガムと聞いたらインドだとわかる人が増えている。そういう青写真がありました。
――パンフレットも、かなり熱量のある作りでしたよね。
『ムリダンガム』のパンフレットは、「この部分については誰より詳しい」という人たちにいろいろな角度から書いてもらいたかったんです。SNS上には、ある分野にものすごく詳しい人がたくさんいますから。
――それぞれの推し活を集めたようなパンフレットですね。
そうですね。結果的に20人以上に寄稿してもらう形になりました。
初めてパンフレットに文章を書く人もいて、その熱量が載っていたと思います。パンフレット自体も変形サイズで箔押しなど、原価がかかった作りになっています。
利益だけを考えたら普通は避けるような装丁ですが、「推し活配給」だから、自分がやりたいことをやろうと思いました。赤字覚悟で作ったパンフレットでしたが、多くの人が手に取ってくれて、最終的には増刷もすることになってよかったです。

沢山の思いが詰まった『響け!情熱のムリダンガム』。在庫僅少ながら店頭で販売中
ラストラン。でも、まだ終わっていない
――ラストラン上映を迎える今は、どんな心境ですか。やり切った感じなのか、まだ終わってほしくない感じなのか。
まだ終わっていないので、完全にやり切ったとは言えないです。全都道府県上映を目標にしてきましたが、まだ上映できていない県もあり、それは少し心残りですね。
――今は映画館側の状況も、2022年とは変わっていますよね。
そうですね。今は上映作品が多すぎて、地方では1週間、場合によっては1回だけの上映になることもあります。ビジネスとして考えれば、1回の上映だけだと手間が多くて切り捨てるべきなのかもしれません。でも推し活として考えると、「1回でも観られて喜ぶ人がいるならやりたい」とも思うんです。
100%やり切ったとは言えないかもしれませんが、推し活としては走り切ったと言えるところまで行きたいです。
2作目『みつけた、みつけた〜分別と多感』へ

――そして今回、2作目として、同じラージーヴ・メーナン監督の『みつけた、みつけた〜分別と多感』を上映されます。なぜこの作品だったんでしょう。
『ムリダンガム』でささやかながら収益が出たこともあって、そのお礼のような気持ちもありました。同じ監督の作品だからこそ買ったのであって、他の作品なら同じようには動かなかったと思います。
――『ムリダンガム』と同じ監督で、音楽もA.R.ラフマーンなんですよね。
そうです。2000年のタミル映画で、ジェイン・オースティンの『分別と多感』を原作にしています。タブー、アイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン、アジット・クマール、マンムーティ、アッバースら俳優陣も非常に豪華で、タミル映画としては珍しく、女性たちが中心に置かれている作品です。
――邦題は、原題に近い形にしたんですか。
今回は原題の意味に近い、直訳に近い形にしました。ジェイン・オースティンが好きな人にも届いてほしいので、こういう形にしました。
――『みつけた、みつけた〜分別と多感』は、どんな人に観てほしいですか。
『ムリダンガム』は推し活なんですけど、これは女性の自立の映画です。
日本人から見ると、そんなに目新しくないと感じるかもしれません。でも、インドでは旧来の男女の役割を押し付ける感じが日本より強いところがあります。女性が男性ヒーローの添え物のような演出でしか映画に出てこないことも多い。
近年は、その傾向や暴力描写がものすごく強くなっているように思います。そういう映画があってもいいんですが、立て続けにそういう映画ばかりだと疲弊してしまって、最近の日本で公開されるインド映画よりも昔の作品の方が好みかもしれないです。
そうした近年の流れに対して、この作品では、女性たちが自立していく姿が描かれています。
会社で働くこと、歌手として自立すること……彼女たち自身が自分の人生を選ぶことがテーマになっているんです。
――確かに女優のアイシュワリヤー・ラーイが中心のポスターヴィジュアルも印象的です。
ポスターのセンターに女性がいること自体、南インド映画では珍しいです。女性がセンターにいる映画でも、脇にいる男性が大スターではなかったりします。でもこの映画は、脇の男性たちも正真正銘のスターです。
ヒンディー映画ならオールスター映画としてそういうものもありますが、タミル、南インドではほとんどありません。しかも26年前にそれをやったこと自体がすごい。
――そこがラージーヴ・メーナン監督の魅力と言えそうですね。
どうして男性監督が、こんなに女性に優しい目線の映画を撮れたのかと思います。
『ムリダンガム』でも女性キャラクターがみんなよくて、なぜこの監督の作品に出てくる女性はこんなにいいんだろうと思っていました。
でも『みつけた、みつけた』を観ると、こういう映画を撮っている人だから、『ムリダンガム』の女性キャラクターがいいのは当たり前だなと思えます。
――2作目の準備は、1作目と比べて変わりましたか。
変わりました。AIや映像ソフトの進歩によって、より広範囲の作業を自分たちでできるようになっていると思います。
それに、今回はとにかくスケジュールが短かったんです。2026年3月に権利を買って、5月末には上映する流れだったので。
その期間で字幕翻訳や字幕まわりの作業を外注する余裕もなかったので、字幕の作業も自分たちでやることにしました。でもタミル語監修を、2000年の頃の南インドをよく知っていて、自分の恩師でもある深尾淳一先生にお願いできたので、その頃の空気を感じられるような字幕ができたと思います。小尾淳先生には楽曲の解説を長文で寄せていただき、「推し活」な配給という点は変わってないと思っています。
映画を届ける場所としての「なんどり」

店主の稲垣富久さんによる絶品の南インド料理


――南インド料理店を営みながら配給もするというのは、かなり大変だったのではないですか。
夫の個人店なので、たとえばお休みの日なども自分で休むと決めてしまえばある程度は何とかなるところもあります。子どもがいるので、元々日曜日を定休日にしていますし。
――地方の舞台挨拶には、ご家族で行くこともあったんですか。
『ムリダンガム』の公開当初は、子どもがまだ小学生だったので、一緒に地方へ行けることもありました。家族旅行を兼ねて舞台挨拶に行ったこともあります。ただ、中学生になると部活もありますし、最近は一人で行くことが多いですね。
――ほかの個人配給の方たちとの交流もあるんですか。
あります。『アハーン』を配給した方は、ご近所さんです。「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」で一緒に舞台挨拶をしたこともあります。
――改めて考えると、「なんどり」という店があったから生まれた関係が多いんですね。
そうだと思います。店で映画の話をして、チラシを渡して、そこからまた別の人につながっていく。
映画館で会っていたら短い挨拶で終わってしまう人とも、店でならもっとフランクに話せたりします。映画を届けるために店を作ったわけではないですけど、結果的に店があったからできたことはたくさんあります。
――店でカレーを食べて、映画の話をして、その人がまた別の誰かに作品を勧めていく。宣伝というより、生活の中で映画が手渡されていく感じですね。
そうですね。大きな宣伝を打てるわけではないので、最初から広く一気に届けることはできません。でも、店で話したことや、映画館で会った人の言葉が、少しずつ次につながっていく。そういう広がり方は、「なんどり」があったからできたのかもしれません。
――今後の更なる目標はありますか。
今回の映画配給が終わったら、そこを一区切りと考えて、同じように個人でも映画配給をしたいという方の背中を後押しできるようなこともしたいな、とも思っています。
でも、まずその前に『ムリダンガム』のラストラン上映、そして『みつけた、みつけた〜分別と多感』を少しでも多くの人に観てもらえるように、最後まで駆け抜けたいですね。
ラストランを迎える『響け!情熱のムリダンガム』と、次の一本として動き出した『みつけた、みつけた〜分別と多感』。
稲垣さんの「配給」は、単に作品をスクリーンにかけることだけではない。
映画館に足を運び、観客と会い、店に戻り、また誰かの言葉を受け取る。その往復の中で、一本の映画は少しずつ遠くへ運ばれていった。
稲垣さんの「推し活」から始まった配給は、いつの間にか映画館と観客、店と人をつなぐ営みになっていた。ラストランは終点であると同時に、そのつながりが次の映画へ受け渡されていく時間でもある。
関連リンク
『響け!情熱のムリダンガム』『みつけた、みつけた〜分別と多感』の上映情報は、配給の公式サイトや公式Xをご参照ください。
関連記事
・インタビュー中に登場する藤本高之氏による寄稿記事です。
・『みつけた、みつけた〜分別と多感』の字幕監修を務めた深尾淳一氏による寄稿記事です。
・『響け!情熱のムリダンガム』の字幕監修を務めた小尾淳氏による記事が連載中です。
・インタビューにも登場し、『響け!情熱のムリダンガム』のパンフレットにも寄稿された山田桂子氏による記事が連載中です。
インド映画タイムズを応援していただけませんか?
インド映画タイムズは、記事を通じてインド映画ファンが増え、日本で公開される作品がさらに増えていく――そんな好循環を目指しています。
皆さまからのご支援は、その循環を前に進めるために、より深い取材、より多くの作品紹介、より充実した解説記事をお届けできるよう努めてまいります。
この活動に共感いただけましたら、ぜひサポーターとしてご参加ください。
すでに登録済みの方は こちら










