食目線で見るインド映画①ー『めぐり逢わせのお弁当』ー(アジアハンター小林)

インド食器・調理器具専門の輸入販売業を営むアジアハンター小林氏による連載記事「食目線で見るインド映画」お届けします。第1回は、『めぐり逢わせのお弁当』を食目線から読み解きます。
インド映画タイムズ 2026.05.30
誰でも

インド料理を知るヒント

インド好きが高じてインド食器を輸入販売する仕事をしている。ファンの方々に比べれば鑑賞本数ははるかに少ないだろうが、とりわけ90年代から00年代にかけて言葉の学習も兼ねてヒンディー語映画をよく見ていた。やがて食への関心が強くなってくるにつれ映画の見方が少しずつ変わっていった。劇中に登場する「食シーン」が気になりだしたのである。

食そのものをテーマにしている映画ならいうことなし。たとえそうでなくても、劇中の食シーンがインド料理文化を理解するうえで重要なヒントを与えてくれることに気づいたのだ。例えばホームドラマにひんぱんに登場する台所。食器棚や調理家電、ステンレスの皿といった家庭料理を知る手掛かりが満載である。ギャングものの舞台となるボンベイ(現ムンバイ)のダンスバーでは、キワどい衣装の踊り子の胸元より酒瓶の銘柄に目がいく。農村が舞台の映画なら、土間の台所にしつらえられた手製のかまどと鍋で煮炊きされているサブジー(野菜の炒め物)。食卓としてのチャールパーイー(木枠にネットを張った寝台)も意図せず描写されている。とりわけ古い映画に登場する食シーンはそれだけで第一級の資料である。

弁当とインドの食文化

そんな目線で今回取り上げる映画は『めぐり逢わせのお弁当』(2013、原題:Dabba、英題:The Lunchbox、2013)。早速、本作品における食シーンを抽出し分析していこう。弁当がタイトルになるだけあってさすがに全編を通じて料理を作る・食べる・運ぶシーンで横溢している。冒頭のニムラト・カウル演じるイラーが自宅でダッバーワーラー(弁当箱配達人)の集荷時間を気にしながらあわただしく調理する場面。圧力鍋から音を立てて吹き出る蒸気。蓋を開けて熱々のダールをダッバー(弁当箱)へ。合計4段の弁当箱にはそれぞれダール(豆のスープ)、汁気の少ない野菜の炒め煮、チャパーティー(全粒粉の平パン)とライスが詰められる。

この冒頭のシーンだけで、インド料理にまつわる無数の情報が読みとれる。まず圧力鍋。インド亜大陸の調理は圧力鍋を多用する。オモリ式タイプが主流で、圧が一定に達すると「プシューッ!」と大きな吹き出し音を出す。この吹き出し音をインドでは「ホイッスル」と呼び、加熱調理の目安となる。ダールを煮るのは3ホイッスル、マトンは6ホイッスルなどレシピ本ではそれ自体が単位になる。

ダッバーワーラーは各家庭に、毎朝決まった時間にやってくる。朝、自転車で集荷した弁当箱はムンバイを縦横に走る近郊鉄道、通称「ムンバイ・ローカル」が停まる各駅にまとめられ、そこから沿線各駅におろされて再度自転車や荷車に載せて届け先の事務所に運ばれる。この配達サービスはインド広しといえどムンバイにしか存在しない。事業がはじまったのは1890年で、136年もの歴史がある伝統産業である。いまもムンバイの街に行けばクラッシックな白シャツに白いガンディー帽でキメた配達人の姿を見ることが出来る。客から預かった弁当の上部には行先を指示するコードと呼ばれる記号が記されていて、誤配の確率は600万分の一だという。

ダッバーワーラー(弁当箱配達人)

ダッバーワーラー(弁当箱配達人)

もともとダッバーとはヒンディー語で「箱」を意味する。現在こそ3段や4段が主流で、名称も「ティフィン・ボックス」と呼ばれている弁当箱は、かつて1段式の文字通り箱だった。ダッバーの呼称はその名残である。こうしたダッバーワーラーの歴史、年代ごとの弁当箱の変遷、運び方の足跡を細かく展示した博物館/Mumbai Dabbawala International Experience Centreが2025年8月、ムンバイのバンドラ・ウエストにオープンした。料理ファンならぜひ足を運ぶべきスポットである。

ダッバー(弁当箱)

ダッバー(弁当箱)

イラーが作った弁当がイルファーン・カーン演じるサージャン・フェルナンデスに誤配されるところから物語は動きだす。サージャンは政府系の会計事務所に35年務めるベテラン職員で退職日が近い。昼時になるとキャンティーン(食堂)に弁当を持ち込んで食べている。妻に先立たれたサージャンは、自宅近くの飲食店に頼んで作らせた弁当をダッバーワーラーに配達してもらっている。この描写から、ダッバーワーラーとは個人宅だけでなく飲食店の弁当も集荷・配達するサービスであることがわかる。

ここで興味をひくのが、サージャンが弁当を食べる場所が勤務先の広いキャンティーンである点。ムンバイの、特に政府系企業には職員が弁当を食べるためのキャンティーンが設置されていて、地味な制服を着た給仕係を介して食事用のターリー(皿)やスプーンを借りている。つまり弁当を食べるためのスペースが備わっているのがわかるのだ。サージャンはそこで誤配された4段の弁当をテーブルに広げ、借りたターリーに中身を移して食べる。このように弁当から直接ではなく、中身をターリーに移すのはインドではごく一般的な食べ方である。またナワーズッディーン・シッディーキー演じる中途採用の後任・シェイクがバナナとリンゴしか持参していないのを見かねてサージャンがおすそ分けするシーンがある。弁当のフタを皿代わりにして中身を移してやるというインドではよくある光景だが、食べ方やシェアのし方がわかって印象深いシーンである。

映画に登場する4段の弁当箱にはライスとチャパーティーという二つの主食が別の段に入っている。グジャラートやマハーラーシュトラといった西インド地域では、このように昼時にご飯類とパン類の二つの主食を同時に摂る。一方、パンジャーブやウッタル・プラデーシュといった北インドではライスを入れずローティー(チャパーティーなど非発酵生地の平パンの総称)だけという弁当が多いし、南インドに行くと逆にライスだけという弁当が多い。このように弁当の中身には、料理の地域性や日常性が色濃くにじみ出るのだ。

戻ってきた弁当箱を見て誤配に気づいたイラーだったが、関係が冷めかけた夫と違いきれいに完食してくれた見知らぬ相手に気をよくし、翌朝、腕によりをかけたパニール・コーフターを弁当に詰める。お礼の手紙を添えて。その手紙をサージャンが怪訝そうに広げながら食べるシーンに、手際よくパニールをコーフターにする調理過程がカットインされる。

このパニール・コーフターは固形のパニール(カッテージチーズ)を一度おろし金でおろし、具を入れて団子にしたものを揚げ、さらにトマトとカシューナッツをベースにしたグレービーをまとわせ、仕上げに生クリームをひと回しした手の込んだ一品である。そもそもパニールという食材がインド人にはぜいたく食材なのである。ただそんなごちそうに対し、サージャンが返した手紙には「今日の料理は塩が強かった」の一言だけ。この塩対応に腹を立て、翌日の弁当には唐辛子をたっぷりきかせた料理を詰めるイラー。

次第に距離を縮めていく二人。やがて弁当に入れた手紙のやり取りを通じて互いの境遇がわかってくる。沈みがちなストーリーに笑いを添えるのが中途採用のシェイクだ。サウジでホテル勤務までした謎の経歴を持つシェイクを当初こそ疎んじていたサージャンだったが、憎めない人柄と妙なたくましさに惹かれて次第に心を開いていく。一人暮らしのサージャンに、シェイクはサウジ時代に覚えたマトン・パサンダをごちそうしたいと申し出る。シェイクの狭い自宅で手料理を食べながら婚約者を紹介されたサージャンは、身寄りのないシェイクの新郎側の代表として彼らの結婚式への出席を承諾する。

マトン・パサンダは典型的なムグライ料理の一つである。パサンダとは「お気に入り」を意味し、王侯貴族好みというイメージで作られたリッチな肉料理。いかにも中東のインド料理店で出てきそうなメニューである。このパサンダを、サージャンら三人は薄暗いシェイクの狭小住宅で床に座って食べる。中東諸国に出稼ぎに出なければならない階層のムンバイ暮らしをリアルに描写した一シーンである。

夫との生活に見切りをつけようと決意するイラーと、何ごとかを決断して彼女の住み家へ向かうサージャン。イラーの居どころを知るのは彼らを結ぶダッバーワーラーだけだ。空の弁当箱を戻すダッバーワーラーたちに混じってムンバイ・ローカルに揺られるサージャン。

本作は、もともとダッバーワーラーのドキュメンタリーを撮る予定だったリテーシュ・バトラ監督にとっての長編デビュー作である。ドキュメンタリー制作上の取材や調査を重ねる過程で想を得ただけあり、ストーリーは緻密で説得力のあるものに仕上がっている。調理や食事シーンも多く、料理ファンにとっては資料的価値もある映画といえよう。

食べられるお店

そんなインドのお弁当が実際に食べられるのが、「インド料理ムンバイ」新宿住友ビル店である。ランチタイムにはハヴェリ・ガーデン・ダッバー・ランチ、ディナータイムにはハヴェリ・ガーデン ダッバーディナーというメニュー名で、劇中に登場したのと同じ4段式の弁当箱形式で提供されている。インドの弁当文化に興味がわいたなら、国内で体験してみてはいかがだろう。

ハヴェリ・ガーデン・ダッバー・ランチ

ハヴェリ・ガーデン・ダッバー・ランチ

ハヴェリ・ガーデン ダッバーディナー

ハヴェリ・ガーデン ダッバーディナー

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