『わたしの聖なるインド』ノウシーン・ハーン監督 独自インタビュー
本作を手がけたノウシーン・ハーン監督に、インド映画の翻訳でも知られる藤井美佳氏が独自インタビュー。映画に込めた思いや制作背景について伺いました。
※一部、映画の内容に触れる部分がございますので、予めご了承ください。

ノウシーン・ハーン監督
監督プロフィール
現代における紛争や政治不安の中で、ジェンダーの視点をテーマに活動するインディペンデント映画作家。最近の関⼼事は、カシミール地⽅の⼥性と⼦どもの問題である。暴⼒と紛争がカシミールの若者に与える影響について共同制作した映画『Pushed to the Wall』(2019)は、2020年にオーストラリア現代美術センターのNIRIN NAARMで上映された。本作『わたしの聖なるインド』は、初めて⾃費制作した⻑編ドキュメンタリー映画となる。
本作は、2023年に⼭形国際ドキュンメンタリー映画祭で市⺠賞(観客賞)、ケーララ国際ドキュメンタリー・短編映画祭(インド)のコンペティション部⾨で⻑編ドキュメンタリー賞を受賞した。
――ジャミア・ミリア・イスラミア大学が抗議運動の中心的な場所の一つとなりました。なぜ真っ先に学生から抗議が始まったのでしょうか。
ノウシーン監督:
それは、ジャミア・ミリア・イスラミア大学(以下ジャミア)がインドに暮らすムスリムにとって重要な教育機関だからです。ウッタル・プラデーシュ州アリーガルにはムスリム系の教育機関であるアリーガル・ムスリム大学がありますが、この大学はイギリスから資金提供を受けており、イギリス植民地式の教育機関でもありました。この体制から脱却した新しい教育機関を求める人々の声があり、その要望に応えて設立されたのがジャミアです。ジャミアはアリーガルで設立、その後オールドデリーへ移り、最終的に現在大学のあるニューデリーに落ち着きました。ガーンディーも大学の創設に深く関わっており、資金調達の面でも重要な役割を果たしました。教養だけではなく雇用や安全を求める人々の思いがあり、ムスリムの家庭は子弟を通わせます。ですから2019年12月、市民権改正法※が議会で可決された後、ジャミアとアリーガル・ムスリム大学で抗議運動が起こったのは自然なことでした。警察の治安部隊は非常によく似た方法で両大学を攻撃しました。催涙ガスを使用し、学生を暴行し、キャンパスを破壊する。そして、多くの市民が拘束されました。
市民権改正法(CAA: Citizenship Amendment Act)
2019年12月に成立した市民権改正法とは宗教的迫害から逃れるために周辺国(パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタン)からインドに入国し、滞在を続けている宗教的少数派に対して、市民権を付与することが目的だと説明している。適用される対象は、2014年12月31日以前に上記周辺国から入国した、ヒンドゥー教徒、シク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒、キリスト教徒、市民権を持たない移民に限られている。ここにイスラーム教徒が含まれないことが大きな問題となった。
――あなたはジャミアの卒業生です。変わり果てた母校を見て、これが単なる抗議以上のものだと感じた瞬間はありましたか?
ノウシーン監督:
当時、私はカシミールで取材をしていましたが、抗議運動が起きた日、ちょうどニューデリーに戻ってきていました。ドキュメンタリー映画作家としての本能でしょうか、すぐに現場へ行き、何が起きているのか確かめたいと思ったのです。当時はまだ市民権改正法についてよく知りませんでしたが、現地へ行って理解しました。そこには私以外に女性が一人もいませんでした。だからなおさら、自分が今ここにいるべきだと感じたのです。この出来事が後に歴史の一つとして記憶される時、その記憶の中に女性の視線で語られたものもあるべきです。治安部隊による襲撃が起きた時も近くにいましたから、できる限り近くまで行き、安全が担保されていたはずのキャンパスから逃げ惑う学生を撮影しました。
撮影しながら、安全な場所はどこにもなかったのだと思い知らされました。非常に屈辱的な思いに駆られました。国家の首都でこんなことが起き得るなら、地方に暮らすムスリムたちがどのように扱われているか想像できるでしょう。同時に、私は大きな決断を迫られました。卒業生として、そしてムスリム女性として、起きていることを一つ残らず記録する。私はその責任を負っているのだと強く感じたのです。メディアに頼りたくありませんでした。抗議運動を記録してくれる誰かが来るのを待ちたくもありませんでした。私が撮りたかった。これを撮るのが私の責任だと感じたのです。
目の前で起きていたのは、間違いなく単なる抗議運動以上のものでした。特に、シャヒーン・バーグの女性たちが街頭に出てきた時、これが歴史的な出来事であることをその場にいた誰もが感じ取っていました。空気そのものがそう語っていたのです。座り込みの抗議デモはお金で作り出せるものではありません。政治家が仕掛けて演出できるようなものでもない。女性たちが表に出て座り込みの抗議をする。自然発生的な出来事でした。人々が壁際まで追い詰められ、反抗する以外に選択肢がなくなった時にしか生じ得ない有機的な営みでした。

©2023 Nausheen Khan
――インドは若者の人口が多い国です。学生や若者の役割をどう見ていますか?また、近年、特定のコミュニティに不当な影響を与えるような有権者名簿の改訂なども起きていると聞きますが、それについてはどうお考えですか?
ノウシーン監督:
世界の革命の歴史を見ると、そこには必ず学生と女性の存在があったと私は思います。どんな革命でも、学生や女性がそれぞれの役割を果たしました。この二つの存在なしに革命は成り立たないと思っています。女性は非暴力の価値を理解しているし、学生は自身を顧みない。むしろ大義を優先するところがありますよね。人は若ければ若いほど、結果について深く考えたりせず、強烈な怒りを感じ突き進んでしまうものです。でもその感覚は大人になるにつれ失われていくものでもあります。実際、この数年で自分自身の変化を感じています。
32歳の自分が今、あの運動を目撃していたら、まったく違う映画になっていたでしょう。当時の私は27歳で、あの頃の私はいつも怒っていました。そのため編集を終えるまで、果てしなく長い時間を要しました。あのような出来事に対し、怒りだけで反応するのではなく、怒り以外の私の全ての経験から答えを出していきたかったのです。
インドには分離独立の動乱の歴史があり、宗教間で対立を煽ることは簡単です。移民流入への恐怖を植え付け恐れさせることも、分断の歴史を経たインドの人々が抱える不満やわだかまりを刺激するのも容易です。だからこそ、宗教対立の形へと導こうとする試みが繰り返されるのだと思います。ところがその一方で、インドには兄弟愛の歴史もあります。共に生きてきた歴史がある。共存の歴史です。分断が起きる一方で、互いを助け合い、誰かのために自分を犠牲にする。そんな物語は、数え切れないほどあります。
支配者や権力者が、そうした分断の物語を掘り起こし、あるいは新たに作り出そうとするなら、共生の物語、この国で共有されてきた愛の物語を掘り起こし、記録し続けることが私の仕事だと思っています。共存してきた歴史や愛が確かに存在することを忘れたくありません。
シャヒーン・バーグの人々が守ろうとしていた理念は実際に存在し、敵対するとされるコミュニティと深い関係を築きながら長い間共存してきました。時の支配者や権力者は現れては消えていきますが、人々はそのすべての間、共に生き続けてきたのです。
世界的に見ても排外主義が広まっています。反ムスリム、反移民といった考え方は世界中で見られるもので、目新しいものではありません。ただし、それにどう反応するか。私たちは新しい方法を探し続けているのです。

©2023 Nausheen Khan
――最初は抗議の様子を記録する形で撮影していたと思います。それが徐々に自身の視点を入れるようになったのはなぜでしょうか?
ノウシーン監督:
撮影を始めた当初、私はジャーナリスティックな視点で眺め、ナレーションを入れるつもりはありませんでした。実際、編集を始めてから一年、ナレーションは一切入れませんでした。自分の声など入れたくもありませんでした。あまりにも大きな出来事でした。私個人の考えなど誰が気にするだろうと思ったのです。それに、あたかも私が学生やムスリムや女性の声を代弁するように思え、それが倫理的に正しいのかという思いもありました。人々を代表して語る資格が私にあるのだろうかと考えていたのです。ところが一年経ったところで、完全に行き詰まりました。どうにも先へ進めなくなってしまったのです。
やがて、ストーリーテラーとしての自分の直感を信じることにしました。自分の声を映像に落とし込み、少しずつその声を磨いていくという作業に入りました。何が自分をこんなに怒らせるのだろう。なぜこんなにも深く傷ついたのだろう。私は信仰深い人間ではないはずなのに、ムスリムが攻撃されたという事実に強く心を揺さぶられるのはなぜだろう。こうした難しい問いを自分に投げかけました。今これらの問いに答えなければ、前へ進めないと感じたからです。このままでは痛みを抱え続けることになり、自分の中で起きているアイデンティティの混乱とも向き合えないままになる。今答えなければ、自分自身と平和に共存することはできないという思いでした。私にとっては不快で居心地の悪い問いばかりでした。しかし、問いに答えていくことが映画を作るプロセスになっていったのです。
その過程で、本当に知りたかった問いの答えを見つけていきました。外の世界と自分の関係、自分の属するコミュニティとの関係、そしてコミュニティの外にいる友人との関係について。当時の私は28~29歳くらいだったと思います。山形国際ドキュメンタリー映画祭(YIDFF)のために来日した時は29歳でしたからね。

©2023 Nausheen Khan
――誰でもできることではありません。尊敬します。
ノウシーン監督:
あの状況では、こうしたプロセスを踏む以外になかったのです。シャヒーン・バーグの女性たちと共に過ごすうち、これは映画になるかもしれないと感じました。それまで見ていたのは学生の抗議運動で、起きたことすべてを記録してはいましたが、それが映画になるのかどうかは分かりませんでした。初めのうちは、短いニュース映像のようなものに編集してまとめるのかもしれないと考えた程度でした。ところが、女性たちが座り込みを始め、共に時間を過ごすようになると状況はみるみるうちに変わっていきました。自分自身に誇りを持つこと、自分を信じること、人の目を気にしすぎないこと、自分のアイデンティティを受け入れること、これらすべてを彼女たちから学びました。
そして、これは単なる記録よりもずっと深いものなのだと感じました。自分自身を発見するプロセスでもありました。一つの状況に反応する方法は一つではないということを、私は彼女たちから学びました。治安部隊に暴力を振るわれたら、怒りで応じなくてはならないわけではない。シャヒーン・バーグの女性たちは新たな方法を私に教えてくれました。その時に初めてこれは映画になると感じるようになりました。彼女たちと時間を共にし始めたことで、それは単なる記録映画をはるかに超えたものになったのです。

©2023 Nausheen Khan
――カメラ自体に権力があるといいます。カメラを向けられた彼女たちの反応はどうでしたか?
ノウシーン監督:
座り込みが始まった日からそこにいたので、皆さん、私を知っていました。昼も夜も、本当に何日もそこにいて、たくさんの人と知り合い、私は馴染みのある存在になっていました。私が彼女たちの味方であるのを知っていたし、私がジャミアの学生だったということも伝わっていました。映画にも登場している4~5人の女性と特に多くの時間を過ごしました。私を知らない人がいても、彼女たちが私の代わりに説明してくれるのです。
当時、メディアの彼女たちに対する報道の多くは間違っていました。だからカメラに対して疑いを持つ人も多かった。プロパガンダ報道やフェイクニュースが広がり始めてからはなおさらです。映画の中でも触れていますが、メディアに対して、「どこのメディアだ」「何を撮っているのか」「なぜ撮影しているのか」と確認するようになっていました。状況を考えれば、当然のことだったと思います。一貫して現場にいたからこそ、私は女性たちと親密な瞬間を撮影できたのだと思います。
こんなことがありました。映画にも出てきますが、デリー北東部で暴行が起き、私は犠牲者の葬儀を撮影していました。あの場所で女性でカメラを持っていたのは私一人でした。他に5~6人ほどいたカメラマンは全員男性で、しかもロイターやゲッティなど海外メディアの記者です。遺族の女性たちは私を見つけ、ほとんど私を取り囲むようにして「どうか記録してほしい」と頼んできたのです。彼女たちは「自分たちはきっと迫害される。殺され、その事実すら誰にも知られないのではないか」と感じていたのです。記録してもらわなければ、自分たちの存在自体がなかったことにされてしまうと思ったようです。「自分たちは殺され、生きていた痕跡すら残らない」と強く恐れていました。私は部屋へ案内され、たくさんの証言を聞きました。彼女たちは「これを世界へ伝えてほしい。私たちを忘れないで」と言いました。
この時の経験はあまりにも重かった。打ちのめされるような気持ちでした。大勢の人が亡くなっても、その名前は記憶されない。誰の責任も問われず、誰も責任を負う立場にならない。このようなことが起こり得ることに気づいたのからです。
実際、インド政府はムスリムの活動家や学生たちを逮捕し、彼らはいまなお収監されたままです。裁判すら始まりません。インドには非合法活動防止法 (Unlawful Activities Prevention Act/UAPA)※という法律があります。いわば反テロ法で、政府に非常に強い権限を与えるものです。明確な理由なしに人を長期間拘束できる法律なんです。ほかにも治安維持法(Public Safety Act/PSA)など、似たような法律があります。こうした法律の下では無罪推定の原則は適用されず、有罪であることを前提に扱われます。この5〜6年ずっと収監されたままの人たちがいます。彼らの裁判すら始まっていません。裁判そのものが始まらず、有罪か無罪か証明される以前の段階で刑務所に収監されたままなのです。
非合法活動防止法 (UAPA: Unlawful Activities Prevention Act)
国家の安全保障や「テロ活動」の防止を目的とした法律。1967年の制定後、何度も改正され、その後特に2000年代以降権限が強化された。国家分裂を促す活動や非合法組織の活動を規制する法律だったが、改正を重ねる中で、テロ行為・テロ資金供与・テロ組織への関与・国家安全保障を脅かす活動まで対象を拡大した。現在では、インドにおける最も強力な治安・対テロ法の一つ。
治安維持法(PSA: Public Safety Act)
1978年に旧ジャンムー・カシミール州で制定された予防拘禁法(preventive detention
law)。政府や警察当局が国家安全保障や公共秩序の維持を理由に、裁判なくして人を拘束できる。

©2023 Nausheen Khan
――そこに希望はないのでしょうか?
ノウシーン監督:
ないに等しいでしょうね。保釈すらほとんど認められず、裁判も始まらないのですから。彼らは私と何も変わらない一般市民です。ウマル・ハーリドという男性は、33歳で刑務所に入れられました。私は今年で33歳、彼は39歳になります。彼の30代は刑務所の中で失われていきました。政府はムスリム・コミュニティの中でリーダーになりそうな人々に焦点を絞って逮捕しているのだと思います。広い聴衆に届く可能性を持つ人物、政治家になり得る可能性を持った人たちをね。

©2023 Nausheen Khan
――政府が監視しているという意味ですか。
ノウシーン監督:
監視体制は厳しいと言えます。デモの最中にも、望遠レンズを持ったカメラマンが私たちのそばで撮影をしていました。警察に雇われた人たちで、デモの参加者一人ひとりのプロフィール写真のようなものを撮るのが仕事です。
映画の中にも出てきますが、ハンディカメラを持ち、ただひたすら人々の顔を記録しているのです。その映像は後に技術的証拠として、人々を収監するために使われました。彼らは学生運動そのものも追跡しています。学生リーダーを監視し、活動家たちを常に特定する。SNSも絶えず監視されています。とりわけムスリムの活動家たちへの監視は非常に厳しいものがあります。

©2023 Nausheen Khan
――あなた自身、声を上げることに恐怖を覚えませんか。
ノウシーン監督:
彼らは、監視により人々を“パラノイア”の状態に置こうとします。監視は現実のものなのです。実際に処罰はしませんが、恐怖で人を不安にしておく。そのことだけで十分なのです。見張られているという恐怖。飛行機の搭乗禁止リストに載るかもしれないという恐怖。電話を盗聴されるかもしれないという恐怖。監視されるという恐怖。上映会場で何か起こるかもしれないという恐怖。私について言えば、一人で撮影している時に何かが起こるかもしれないという恐怖。そういった感覚はあります。それでももっと多くの人々がインドで私の映画を上映する勇気を持ってくれたらと願います。恐怖が病のように広がるのと同じように、勇気もまた人々に伝染するからです。誰か一人が上映すれば、他の人も「自分にもできるかもしれない」と感じるからです。
もちろんリスクを引き受ける覚悟はあります。でも、それを私一人で引き受けるべきこととは思いません。より恵まれた立場にあるコミュニティの人々こそ、勇気を示すべき時だと思います。抵抗運動に関わっている多数派コミュニティに属する人々が、今こそさらに一歩前に進むべき時だと思うのです。
私は私財を投じこの映画を制作しました。考え得るかぎりの場所で上映しました。自分の身を危険にさらしました。努力を重ねました。脳細胞の最後の一つまで使い切って、私の年齢で作れる最高の映画を作ろうとしました。映画祭にも出品し、自分の力でできそうなことは、何もかもやり尽くしたと思っています。
今度は特権を持つ側の人々が、自分たちの役割を果たす番です。何かを犠牲にし、権力に対し不満の声を上げるといったリスクを引き受ける時だと思います。でも残念ながら、それを本当にやろうとする人は、ごくわずかしかいません。声を上げれば監視され、盗聴されるかもしれないというパラノイアの中を生きることになります。それでも、勇気も恐怖と同じように伝染していくものだと私は信じています。特権を持つコミュニティや多数派の人々には、今こそ声を上げ、リスクを引き受けてほしいなと思います。

©2023 Nausheen Khan
――編集についてさらに伺いたいと思います。映画作家のアマル・カンワルから影響を受けたとおっしゃっています。どのような出会いだったのでしょう。
ノウシーン監督:
抗議運動をするなかで、ネパール出身のナヤンタラという女性と知り合いました。彼女はネパールで抵抗運動に関わっている人です。「映画にしようとしているけれど、どうしたらいいのか分からない」と相談したのです。当時の私は怒りに満ち、ただひたすら撮影をしていただけで、自分を見失っていました。すると彼女が、アマル・カンワルを紹介してくれました。アマル・カンワルもジャミアの卒業生で、私と同じ学科を専攻していましたから、もちろん彼の映画はいくつも見ていました。彼は私をオフィスに招いてくれました。そして「30分だけ話そう」と言っていたはずが、結局4時間も話し込むことになったのです。
私が撮ったものについて話すと、彼はさまざまな形で私を支えてくれました。映画制作について、彼からすべてを学んだと言っていいほどです。彼の作品を観ること、彼と対話すること、彼が政治や世界について語るのを聞くこと――そのすべてが、私に膨大な知識を与えてくれました。
アマル・カンワルの映画は日本でも何度も上映されていますよね。山形国際ドキュメンタリー映画祭のことを教えてくれたのも彼でした。彼は山形の常連であるだけでなく、審査員も務めています。私が日本に来るきっかけを作ってくれたのも彼でした。「山形は理想的な空間、夢の映画祭」だとよく話していました。そして、「もし行く機会があれば、君の人生はきっと変わる」と言ってくれました。本当にその通りでした。
彼はたくさんの形で私を支えてくれましたが、「こう言え」「こう作れ」と指示したことは一度もありません。問いを投げかけ、何を語ろうとしているのかを深く考えさせるように促すのです。彼は、そんなふうに物事の考え方を教えてくれました。「ストーリーテリング」から「怒り」の要素を取り除き、それをどう見つめ直すかを教えてくれました。
撮影していた頃の私は怒りに駆られていました。若かったのもありますし、この世界を焼き払ってしまいたいとまで思っていました。学生や女性に行われたことはあまりにも屈辱的なものでしたからね。私は激しい怒りに囚われていましたが、アマル・カンワルの助言や作品は、私に新たな道筋を示してくれました。あの時の私には必要な導きでした。
彼は今でも、世界とどう向き合うべきか私に助言をしてくれます。おかげで私の映画制作は豊かなものになりました。特に若い人には、指針となる師が必要だと思います。誰を師と仰ぎ、教えを授かるか。人を導くことができるのは限られた人々です。誰もがその力を持っているわけではないし、誰かを導く人間になれるわけでもない。誰かに助言を求める時、とても慎重にならなければなりません。私は繊細な人間なので、誰を師とするかはとても重要な意味を持ちました。偶然な出会いでしたが、彼と知り合えたのは幸運なことでした。正しい人にたどりつけたのですから。

©2023 Nausheen Khan
――移民やマイノリティに対する敵意を示す場面を日本でも目にします。そのたびいたたまれない気持ちになりますが、この映画は示唆に富み、静かに勇気を与えてくれるものだと感じました。インドから離れた場所でこの作品を見る人に、どのような思いを持ち帰ってほしいですか?
ノウシーン監督:
排外主義、反移民、反マイノリティは、鏡に反射するように世界中で繰り返されています。まるでコロナ禍のように、イスラム嫌悪、反移民政治――世界中の人々が似た形でこれらを経験しています。政治家にとってみればヘイトは都合がいい。怒りの感情は簡単に広まりますし、恐怖心を植え付ければ、人をより簡単にコントロールできるのです。そのゆがんだ構造を可視化できればと願い、私はこの映画を制作しました。抑圧の形は、世界中どこでも驚くほど似ているのです。
山形国際ドキュメンタリー映画祭は、私にとって初めての海外上映で、本当に緊張しました。自分の伝えたかったことを観客が理解してくれるはずもないと思っていました。映画のテンポは速く、シャヒーン・バーグという小さなコミュニティで起きた物語です。海外に住む人々の関心を集めるわけがないだろうと悲観し、上映前には緊張を解きほぐすために呼吸法を試していたほどです。ところが上映を終えてみれば観客の反応はよく、Q&Aも活気があり、二回目の上映は満席でした。そして市民賞までいただきました。私は初めて、ストーリーテリングは言語や文脈や国境を超えるのだと実感したのです。大きな自信につながりましたし、自分は一人じゃないと感じました。
私の映画を見て、観客の皆さんにも一人ではないと感じてもらえたらと思っています。抑圧を経験しているマイノリティは自分だけではありません。この映画が、抵抗する力を与えられたらと思っています。抑圧に抗うために、もう一歩踏み出す力になればと願います。あなたは一人ではなく、同じような出来事は世界中で起きています。多くの人々が、それぞれ異なる方法で抵抗しています。私たちは、新しい方法を探りながら、少しずつでも状況を前に進めていくのです。

©2023 Nausheen Khan
――映画は、他者の痛みへの想像力や共感を生む場所になれると思いますか?
ノウシーン監督:
芸術全般――アートやストーリーテリングには、言葉にするのが難しいことを語るためのスペースを作る力があると思っています。アートは、間接的な対話を可能にしてくれます。そしてまた、困難な時代の中にある美を表現の中心に据えることも可能にしてくれます。
今のインドが暗く、絶望的で、悪化し続けていくのだとしても、私は今、希望に満ちた時を記録した74分間のドキュメンタリーを手にしています。そのこと自体、とても大きなことだと思うのです。私たちは、抵抗は可能なのだと知ることができました。人々が集まれば力になる。抵抗し、自分たちの困難に声を与えていく方法を見つける可能性がこの映画にはあります。私は、アートには大きな力があると考えています。音楽、映画、ドキュメンタリー、絵画、口承の歴史――そうしたものすべてが、人々に記憶させる手助けとなっています。
世界的な文脈においても、インドの文脈においても、「忘却」と「記憶」の闘いが起きていると私は感じています。権力者は、あの出来事があったことを忘れさせたいでしょう。小さな街角で始まった座り込みが全国的な抗議運動のうねりになったことを忘れさせてしまいたいでしょう。あれほど注目を集めた出来事を国際メディアにのせたくないはずです。
シャヒーン・バーグの女性たちは、法的プロセスに遅れを生じさせました。人々の抵抗が法的手続きを遅らせることができると証明しました。市民権改正法や国民登録簿をめぐるプロセスは、市民の抵抗と反応によって減速せざるを得なくなりました。
芸術や音楽、ドキュメンタリー映画、写真でも何でも構いません。アートの形で抵抗を記録し続ける必要があると私は考えます。権力者は忘れてほしいと願っている。だから私たちは記憶しなければならないのです。

©2023 Nausheen Khan
――インドに生きるムスリム女性として、これからの未来についてどのように感じていますか。不安の方が大きいでしょうか、それとも希望を感じられますか?
ノウシーン監督:
多くのムスリム女性たちは、自分の言葉で語らなければならないんだと気づき始めています。他のコミュニティの人々が、自分たちの経験を記録しに来てくれるのを待ってはいられません。
私は今、多くのムスリムの女性たちと関わっています。映画を撮る人、音楽を作る人、さまざまなアート表現に取り組む人、マスメディアやコミュニケーションの分野へ進む人たち。彼女たちは、経済的に自立することの大切さ、自分の人生に対する主導権を持つことの重要性、社会からの圧力に簡単に屈しないこと、自分自身を大切にすることの重みに気づき始めています。シャヒーン・バーグの女性たちは、困難なことを引き受ける勇気を与えたのだと私は思っています。
インドを生きるムスリムの女性たちは多くの困難を抱えていますが、それと同時に、今を意味のある時だと感じています。私たちは重要な時代の節目を生きているように思います。自分のコミュニティのために立ち上がれないのなら、アーティストである意味などありません。私に勇気があるかどうかの話ではありません。いってみれば仕事です。対立や衝突の時代に、その場に自分がいることが大事なんです。コミュニティが苦しんでいるなら、可能な限りそこへ向かうこと。SNSだけではなく実際に足を運ぶこと。カメラを持ってその場に立つこと。何かが起きた時に、その場で記録すること。人々が話したい時に聞き手としてそこに存在すること。これらがいかに大切なことか理解しました。
火災が起きたり、家族の誰かを失ったり、何らかの衝突が起きたりした時、そこに来る男性ジャーナリストは男性としか話をしません。私に話してくれた女性たちは、必ずしも「記録されたい」と思って証言をしてくれるわけではありません。これまで誰からも、「あなたはどう感じているの?」と尋ねられたことがなかったから話すのです。そこには「話を聞いてくれる誰か」が必要なのです。
かつて行ったカシミールの取材を通して気づいたことがありました。女性たちの話を聞いてくれる相手がいないのです。ムスリム女性が、他のムスリム女性のために「その場へ行く」こと自体に大きな意味があるのです。
実際に現場に行き、人々と話し、時を共にし、関心を持ち、丁寧に耳を傾けることは、本当に大きな意味があります。デジタル時代の今、その価値はさらに重要だと考えます。あらゆる活動がオンラインで行われ、ジャーナリズムも、抗議活動も、すべてがネットに移行しています。それでもなお、一人の人間が物理的にそこにいることは何物にも代えがたく、貴重なものだと思います。

©2023 Nausheen Khan
インタビューの終盤、作品の核心に関わる幼馴染との関係性について質問に対し、決して簡単に語れる内容ではないが、ノウシーン・ハーン監督は言葉を選びながら、その想いを明かしてくれました。
――幼なじみとの連絡が途絶えてしまったそうですが、あれから時間が経った今、対話の可能性はあると感じていますか?
ノウシーン監督:
彼女とは再び連絡を取るようになり、何度か会いました。2024年には彼女の結婚式にも出席しています。結婚式には多くの友人が集まりましたが、幼なじみだった私は、家族から特別に気にかけもらっていました。彼女やご両親のことを助けてきましたしね。
私が行けば彼女の両親はとても喜んで、すごく褒めてくれるんです。彼女の婚家には、私を姉妹みたいな存在だと紹介してくれました。でもそれを聞いて私は混乱しました。私が大学の抗議運動に参加していたという理由だけで、ほんの数か月前に私をブロックし、関わりを絶とうとしていたのになぜという思いが抜けませんでした。おかげで結婚式の後、しばらく私は体調を崩してしまいました。私を愛し、誇りに思い、娘みたいだと言いながら、その次の瞬間には関わりたくないと切り離そうとする。とても理解できませんでした。
その後、彼女はアメリカへ移住しました。最近インドに戻って来た時には私の家に泊まっていきました。でも、「あのこと」については一切話しません。私は対立を避けるタイプの人間なんだと思います。「あのこと」について彼女と2分話すくらいなら、74分の映画を一本作る方を選びます。対立を招く会話は私にとって難しい。「何パーセントのムスリムがどう差別されているか」、数字やデータを並べて議論するのは苦手です。このような議論に耐えられる人間ではないのです。話すと考えただけで、彼女が私の気持ちを押し返してくるのが想像できるので、やはり話すのは無理だと感じ、避けてしまうのです。だから何も起きなかったかのように彼女と話します。
それでもいいのかもしれないとも思っています。愛することはとても難しい。人を憎むより、愛することの方がずっと難しいとも感じました。人には、黙っていなければいけない時、戦うべきことを選ばなければいけない時、手放さなければいけない時があることを知りました。
実はもう、私たちの間に友情が残っていると思ってはいません。私にとってこんなに深い問題を語り合える関係にないのです。それでもまだ連絡を取り続けているのは、たぶん昔の良い思い出があるからです。私たちは共に育ち、美しい子ども時代を共有しました。だから今は「あのこと」は脇に置いて、なかったことのように振る舞っています。私の人生について彼女と話すことはありません。映画を撮っていることも、世界中を旅していることも彼女は知っていますが「あのこと」だけは話しません。共有できる良い出来事もたくさんあるからです。私が日本へ行ったことも知っているし、南アフリカへ行ったことも、カナダやイギリスへ行ったことも知っています。でも彼女は、「あのこと」を話したがらない。とても奇妙な関係なのです。結局、人は「どの戦いを選ぶのか」を決めなければならないのだと思っています。

©2023 Nausheen Khan
インタビュアープロフィール/藤井美佳(Mika Fujii)
英語・ヒンディー語の翻訳者。『バーフバリ』『RRR』『私たちが光と想うすべて』『ジョイランド わたしの願い』など南アジア映画の字幕翻訳に携わる。最新作は2026年7月公開予定のヒンディー語映画の『ドゥランダル作戦』。
映画翻訳に加え、国際ブッカー賞受賞作『砂の境界』(エトセトラブックス、2025年)で初めて書籍翻訳を手がけた。また、東京外国語大学TUFS Cinema南アジア映画特集の企画にも尽力している。
6月9日には、本作のトークショーにゲストとして登壇予定。
ノウシーン・ハーン監督から日本の観客の皆様へメッセージ
『わたしの聖なるインド』マスコミ向け試写会 ノウシーン・ハーン監督舞台挨拶
2026年4月20日に実施された舞台挨拶の模様です。
映画情報


『わたしの聖なるインド』
監督・撮影・編集:ノウシーン・ハーン 音楽:クシュ・アシェール
宣伝:リガード 宣伝美術:中野香 配給:きろくびと
2023年/インド/ヒンディー語、英語/74分/原題:Land of My Dreams/
©2023 Nausheen Khan
公式X : @LOMD_film
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